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東日本大震災犠牲者追悼と復興祈願法要という催し物がありました。
(以前の参加募集ページに詳細があります)
その催し物では、スリランカのお坊様が20人近く集まって、現地で法要をしてくださいました。
お坊様をサポートする為にスリランカの在家の方々が一緒に参加され、それに私達テーラワーダ仏教協会の会員の有志が移動費等自己負担でご一緒致しました。
本当は6月3日から6月10日までの七日間、法要(読経会)が行われていまして、私大石はそこに参加出来なかったのですが、6月10日の夜に気仙沼へ伺うところから参加致しました。
その様子を手短にですがご紹介致します。
※このレポートは既にツイッター、トゥギャッターで紹介されているものと同じ内容のものです。総会でゴータミー精舎運営委員会の活動報告の一部として紹介する目的を兼ね、こちらへ再掲載させていただきました。

①10日夜、茨城県のサンブッダンローカ寺に集合しました。その時のお寺の様子です。協会ウェーサーカで作成されたランタンが境内に飾られていました。ここから夜明けまで移動に時間がかかったのでした。

②朝方に気仙沼に着きまして、海岸線沿いの国道を走行中に見ました大型店舗です。津波で1階部分が無くなってます。

③直接の被害を免れた処です。道沿いに被害を受けた場所とそうでない場所が交互にありました。

④海沿いの工場跡地に着いてまず1回目の法要でした。お経を(宝経)唱えながら聖水を撒きます。その聖水は1週間のあいだ、交代で宝経を絶やさず唱え続けて作ったものです。

⑤一度、現地のお寺に移動します。その途中の風景です。まるごと道が無くなってしまったのでしょうか?新しい土の上に新しいアスファルトが敷いてあります。

⑥現地のお寺で、お坊様へのお食事のお布施を行いました。その後に在家も昼ごはんでした。前回までは、お坊様も在家と一緒に炊き出しをなさっていたそうですが、今回は別の団体が炊き出しをしていたそうで、私たちは法要に専念したのでした。

⑦更に移動です。高台の小学校体育館へ移動します。その途中に見えた、元々水田だったと思われる所です。

⑧小学校体育館での様子です。避難民の方と我々に糸を回してお経を唱えました。この写真はその後の聖糸と聖水の授与の様子です。

⑨小学校のある高台になっている場所から映した写真です。この広い範囲の被害を見て、言葉になりませんでした。

⑩そんな中でも、既に復興に向けて工事が始まっている場所がありました。元々駅があった場所らしいです。橋と道路を作っているようです。

⑪ひしゃげたトラックのアップです。

⑫更に移動して港町につきました。コンビニエンスストアだった建物です。中を覗き見ると鉄骨の柱が曲がっていて、全体的に傾いていました。

⑬瓦礫の街の中に大きな船が残っていました。倒れないように支えの鉄骨が溶接してありました。
後から本で読んだのですが、これは漁船だということです。

⑭謎の(?)OK看板です。このように板切れに「OK」と書かれたものがあちこちにありました。

⑮港町の道路は途中から舗装が無くなっていました。陸側から港方面を映した写真です。この辺から先が立ち入り禁止区域になっていました。

⑯そんな被害の大きすぎる港町でも復興が始まっていました。新しく立てられた電柱に電線がひいてあります。

⑰最後の法要です。この港町を1周して、聖水を撒き切って帰ってこられました。このあと御坊様からお話があり全ての法要が終了となりました。写真はこれが最後となります。
その後帰路につき、高速のSAで夕食をとり、明け方3時にサンブッダンローカ寺着、5時にゴータミー精舎着、朝の冥想と読経に参加してから流れ解散となりました。
お読み頂きありがとうございました。
〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜
東日本大震災犠牲者追悼と復興祈願法要という催し物がありました。
(以前の参加募集ページに詳細があります)
その催し物では、スリランカのお坊様が20人近く集まって、現地で法要をしてくださいました。
お坊様をサポートする為にスリランカの在家の方々が一緒に参加され、それに私達テーラワーダ仏教協会の会員の有志が移動費等自己負担でご一緒致しました。
本当は6月3日から6月10日までの七日間、法要(読経会)が行われていまして、私大石はそこに参加出来なかったのですが、6月10日の夜に気仙沼へ伺うところから参加致しました。
その様子を手短にですがご紹介致します。
※このレポートは既にツイッター、トゥギャッターで紹介されているものと同じ内容のものです。総会でゴータミー精舎運営委員会の活動報告の一部として紹介する目的を兼ね、こちらへ再掲載させていただきました。
①10日夜、茨城県のサンブッダンローカ寺に集合しました。その時のお寺の様子です。協会ウェーサーカで作成されたランタンが境内に飾られていました。ここから夜明けまで移動に時間がかかったのでした。
②朝方に気仙沼に着きまして、海岸線沿いの国道を走行中に見ました大型店舗です。津波で1階部分が無くなってます。
③直接の被害を免れた処です。道沿いに被害を受けた場所とそうでない場所が交互にありました。
④海沿いの工場跡地に着いてまず1回目の法要でした。お経を(宝経)唱えながら聖水を撒きます。その聖水は1週間のあいだ、交代で宝経を絶やさず唱え続けて作ったものです。
⑤一度、現地のお寺に移動します。その途中の風景です。まるごと道が無くなってしまったのでしょうか?新しい土の上に新しいアスファルトが敷いてあります。
⑥現地のお寺で、お坊様へのお食事のお布施を行いました。その後に在家も昼ごはんでした。前回までは、お坊様も在家と一緒に炊き出しをなさっていたそうですが、今回は別の団体が炊き出しをしていたそうで、私たちは法要に専念したのでした。
⑦更に移動です。高台の小学校体育館へ移動します。その途中に見えた、元々水田だったと思われる所です。
⑧小学校体育館での様子です。避難民の方と我々に糸を回してお経を唱えました。この写真はその後の聖糸と聖水の授与の様子です。
⑨小学校のある高台になっている場所から映した写真です。この広い範囲の被害を見て、言葉になりませんでした。
⑩そんな中でも、既に復興に向けて工事が始まっている場所がありました。元々駅があった場所らしいです。橋と道路を作っているようです。
⑪ひしゃげたトラックのアップです。
⑫更に移動して港町につきました。コンビニエンスストアだった建物です。中を覗き見ると鉄骨の柱が曲がっていて、全体的に傾いていました。
⑬瓦礫の街の中に大きな船が残っていました。倒れないように支えの鉄骨が溶接してありました。
後から本で読んだのですが、これは漁船だということです。
⑭謎の(?)OK看板です。このように板切れに「OK」と書かれたものがあちこちにありました。
⑮港町の道路は途中から舗装が無くなっていました。陸側から港方面を映した写真です。この辺から先が立ち入り禁止区域になっていました。
⑯そんな被害の大きすぎる港町でも復興が始まっていました。新しく立てられた電柱に電線がひいてあります。
⑰最後の法要です。この港町を1周して、聖水を撒き切って帰ってこられました。このあと御坊様からお話があり全ての法要が終了となりました。写真はこれが最後となります。
その後帰路につき、高速のSAで夕食をとり、明け方3時にサンブッダンローカ寺着、5時にゴータミー精舎着、朝の冥想と読経に参加してから流れ解散となりました。
お読み頂きありがとうございました。
〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜
