Dhammacast: 2011年3月アーカイブ

「落ち着き」だけが「私のもの」になる(1時間26分17秒)をダウンロード

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今回のDhammacastは2011年3月13日(日)にゴータミー精舎で行われたスマナサーラ長老のご法話とQ&A音声を配信いたします。東北地方太平洋沖地震とそれに伴う津波被害にも触れた内容になっています。以下は法話部分のメモです。

 
お釈迦様は人間にどれぐらい精神力・能力があるか、災難の時に分かると仰いました。
智慧があるないか、問題が起きたときに分かると。落ち着きがあって、問題を解決できる能力・精神力があるかどうかは、災難の時に見えますよと。
それはどういうことかというと、何があっても悩むなかれ、ということです。悩んだり落ち込んだりすると何にもならないのです......。
いろいろな事が人生で起こります。我々は自然は管理できない。自然に任せた生き方をしないといけないし。自分のものでないものはぜんぶ他人のものだから、外のものだから、どうなるか分からないんです。
日本の歴史のなかで一番、たいへんな災害が起きているとき、......これほどの災害はかつてなかったのだから......そこで分かることは、何があってもあっけなく消えてしまうんですね。人間の力は何にもならないんです。だから、お釈迦様の言葉を借りれば、「自分でないもの」なんです。すべて「私のものではない」ということなんです。
この身体もそうなんです。自分のものではないんです。自然の関係なんです。我々がどこで悩むかというと、この「自分のものでない」ものに対して、やけに悩むんですね。やけに悲しむんですね。 
......
ある日お釈迦様が森の中で比丘たちと一緒にいました。
 「あんたがたに、この森が見ええますか?」
 「お釈迦様、見えますよ。」
 「この森の木は風で倒れたり、村人が薪のために持って行ったり、動物たちが食べたり、風で倒れたりする。あなた方はそれを見て、『ああ、たいへんだ。私が倒れているんだ、私のものを持って行くんだ、私のものを食べているんだ』とか悩みますか?」
 「いえ、ぜんぜん悩みません。」 
「なぜ?」 
「いえ、森の木はぜんぜん私のものじゃないですから」 
お釈迦様は、
「それはそのとおりですよ。『私、私の、私のもの』というふうに言えるものというのは、存在すらしないのです。それが分かったら、あなた方のどこに悩み苦しみ落ち込みが生れるのか。」
と仰りました。
だから、真理・事実は、「『私、私の、私のもの』と言えるものは、どこにも存在しない」ということなのです。
森の喩えで、お釈迦様はそれを教えたんです。
どこかで「私の」という言葉が絡んでくると、そこで悩みが生まれてくるのです。
......
(文責:佐藤哲朗)ツイッターでの法話実況中継メモはこちらで読めます。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

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