Dhammacast: 2007年5月アーカイブ

「『仏教的』経営コンサルティング」(19分44秒)をダウンロード

Dsc_0040アルボムッレ・スマナサーラ長老の法話ポッドキャスティングです。5月24日 「上座仏教教室」の質疑応答より。

日本の企業には不自然、アンバランスというものがよく見られるのです。我々は自然法則を壊しているのですが、自然法則を壊したら確実に負け。わたしたちが「自然」そのものだからね。

自然の流れは、限りない人間の妄想どおりにはなりません。企業活動も、法則(ダンマ)にのっとって行わなければならないのです。どんなに欲張って利益を追求しても、自然法則には逆らえません。自然の法則をそのまま見届ける落ち着き、冷静さ、が不可欠です。

自然法則に逆らって生きると、限りない苦しみに襲われます。それで能力も低下してしまうのです。経営者が冷静さを失ったとき、感情的になったとき、企業は危機を迎えます。事実を見ても例外なくそうです。儲けてやるぞ、儲けてやるぞ、と自然に逆らって妄想で欲を出したとたんに、「もうあなたはいりません、この宇宙から」とお払い箱にされるのです。

自然法則には「均衡性」を維持するはたらきがあります。だから何も不可思議なことは起こりません。妄想がそこに割り込むと問題が起こるのです。自然法則を壊して欲を追求しても、自然法則は壊せない。自然法則を壊そうとした人が壊れるのです。無常を理解して、冷静になることが勝利の道なのです。

人間は欲や怒りでかなり無駄遣いするんです。政府をはじめとする恐ろしい無駄遣い、それを指摘されても、わざと問題を複雜にしてさらに無駄使いを増やすカラクリをする。「節約の知恵」の欠如が日本社会を深く蝕んでいます。仏教は無駄遣いを禁止しています。浮いたお金があったら、人助けに使ってください。それで貴方は幸福になりますよと。

常に冷静に、常に明るく、笑顔を絶対に絶やさないこと。儲けるコツは、明るさにあるんです。人はどうせ何かを買うなら、明るい人から買いたいんです。仏教的には、「儲け主義」自体がダメです。我々は社会に対して何かをしてあげる。してあげたら、それなりの見返りは社会も与えてくれる。それが正しい商売です。

仏教徒は、利益の数字ではなくて、「自分が社会に何をしてあげたか」ということに必死になるんです。「自分が何をしてあげればいいのか?」と思った時点で、自分の向上も成り立ちます。

経営者が管理できるのは「(社会のために)してあげる・貢献する」セクションです。「貰う」セクションは管轄外なのです。貢献主義で正しく仕事すれば、「貰う」ものは、法則でついてくるもの。どんな業種であっても、この法則は同じことです。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

「障害を乗り越えて「慈悲」を育てる/ペットロスで悩む人へ」(14分47秒)をダウンロード

A. Sumanasara thero. Photo by Harumi Aida

アルボムッレ・スマナサーラ長老の法話ポッドキャスティングです。5月10日 「ヴィパッサナー瞑想と法話の会」瞑想指導の前の質疑応答より。

  • (障害を乗り越えて「慈悲」を育てる)誰でも自分の都合のために他の生命を殺しているのです。でも「それでいい」と認めることなんかできるでしょうか? 慈悲を育てるためには障害がたくさんあります。でも世の中で簡単なことなんかないのです。私たちは日々努力して一歩ずつ前進しなくてはならないのです。
  • (ペットロスで悩む人へ)ペットを飼って面倒を見てあげることはいいのです。ただペットに依存している状態はよくありません。ペットだけに依存的に愛情を注ぎ、人間を嫌うというのはとんでもないことです。

(2007年5月10日 千駄ヶ谷区民会館にて収録)

~生きとしいけるものが幸せでありますように~

ウェーサーカ祝福法話(Google Video)44分12秒
Sumanasarathero
5月12日、ゴータミー精舎ウェーサーカ祭におけるスマナサーラ長老の祝福法話をGoogle Videoにて公開中。パーリ小部ウダーナ2ムチャリンダ品2(udaana2 mucalinda-vagga2)で釈尊が説かれた「世における欲望の安楽も、天におけるこの安楽も、渇愛の滅尽という安楽の、十六分の一にも 値しない」という偈を引用して、釈尊の教えが「最高の幸福への道」であることを示された、力強いご説法です。ぜひご覧ください。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

「経典解説:『何が我々を束縛するのか?』チッタ居士の名回答」(56分10秒)をダウンロード

A. Sumanasara thero. Photo by Harumi Aida

スマナサーラ長老の法話ポッドキャストです。

今回は、パーリ経典講義。相応部経典:六処篇:チッタ相応()より、「束縛(繋縛)」(S41 1)という経典を取り上げます。優れた在家仏教徒であったチッタ居士が、僧侶のあいだで起こった論争を見事に解決した、という経典。

故・増谷文雄氏はチッタ居士を大乗経典の『維摩経(ゆいまきょう)』に登場する維摩居士のモデルになった人物ではないかと推測しています。

もちろん三宝に深く帰依するチッタ居士は、後世に創作された維摩居士のように阿羅漢方を誹謗するようなことはしません。出家者に敬意を払いつつ、悟りの世界では先輩である立場から、出家者の誤りもすぐに正してあげるのです。現代の我々もチッタ居士から学ぶべきことは多いと思います。

『一切の煩悩は認識の中で生まれます。「この世に誘惑がいっぱいあるんだよ」云々俗世間で言うけれど、色声香味触法は、眼耳鼻舌身意の束縛というわけではありません。束縛は六根(六内処)と六境(六外処)を繋ぐ「鎖」「くびき」なのです。

 では、眼と色の間で何が束縛になるのでしょうか? 耳と声の間で、鼻と香の間で、何が束縛になるのでしょうか? 両方に「チャンダラーガ」が起こるのです。この「チャンダラーガ」こそが束縛なのです。チャンダラーガは、チャンダ(意欲)とラーガ(貪欲)の熟語です。チャンダ(意欲)には善も悪もありません。何に意欲があるのか、ということによって善悪が変わるのです。このチャンダ(意欲)のはたらきを理解することが、ヴィパッサナー修行を成功させる鍵になります。』(2007年4月20日パーリ経典解説より)

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

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