新年祝福法話~理性で生きることこそが吉祥です~(Dhammacast)

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新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。2010年最初のDhammacast(法話音声配信)は元旦に行われたゴータミー精舎新年祝福法要での、スマナサーラ長老のご法話を配信いたします。

以下はTwitterでの実況です。実際のご法話の内容のニュアンスを汲み取っていない箇所もありますが、参考までに御覧ください。

2011年1月1日 ゴータミー精舎新年祝福法話「理性で生きることこそが吉祥です」アルボムッレ・スマナサーラ長老

仏教は迷信は無意味だと言っていますが、お祭りが無意味だと言っていないのです。一年の節目節目で気持ちを切り替えて新たに頑張るぞというお祭りすることの意味は認めています。しかしそれに余計な信仰をくっつけるのは反対するのです。

門松を立てるのはカッコいいけど、歳神様が門松をつけていないとその家を素通りしてしまうという迷信はちょっとおかしい。門松はカッコいいんだから飾りましょう、というのは仏教で反対するところではありません。

でも正月だからと酒のんで酔っ払ってばかりじゃ、まずい、と思うんですね。世の中の不幸を避けたいということで祝福を受けたりもします。テーラワーダ仏教では新暦の元旦は何もしない。仏教の人々には他にも充分祭りがありますから。わざわざ借り物の祭りはやりたくないと。

ウェーサーカ祭りもど派手にやるが悪いことは一切しない。酒屋も営業停止。食べる為に動物を殺すこともしない。その代わりに動物たちに食べ物を配ってあげる。野良犬たちにもお布施する。

祭りは仏教の人々は、他人に害を与えない事が祭りだと思っている。365日は無理でも、祭りの日だけでも他の生命に害を与えないようにする。職業的な漁師さんもその日は控える。日本の皆さんも罪ばっかり増える祭りをやっていると、それは不幸になります。

祭りだから罪を犯しません、祭りだから酒を飲みません、という風にした方がいいのでは? 御柱祭りもだんじりも、楽しいでしょうね。楽しいのはいいけど、酒を飲んだり喧嘩したりして心を汚すと不幸になる。祭りの後で酷い目にあうという事もあり得るのです。

新年や誕生日などお祝いするべきなんでしょうか? 人生が一年終わってしまった、残りが短くなりました、ということも考えるべきなんですね。自分の人生の長さを考えるというのは、理性的に生きることなのですね。

理性的に生きることが最高の吉祥であると、(いま唱えた)吉祥経にもありますよ。第一の項目に、悪人と付き合わない、理性的な人と付き合う、目上の人を敬う。これに勝る吉祥はないのだと。

縁起担ぎのおせち料理を食べて幸福になるわけではない。(幸福になりたければ)悪い人と付き合うなよと。周りの環境によって自分の気持ちも変わるんです。人間の心はそういうもの。やはり誰の影響を受けるのかということを選ばないといけない。心は受信機になっている。

何を受信するか分からないのだから、よい人と付き合いさないと、釈尊がおっしゃっている。現代人に嫌われることも言っています。知識・技術を学びなさいと。それだけでもその人は幸せになります。何を技術を得ている人はそれだけでも一生生きて行ける。仕事を頼まれる。

様々な項目をまとめると、理性的に生きることは最高の吉祥である、ということになるのです。今日の機会に、理性に基づいて生きるということを考えてみてください。

経典から、思いつくままに言います。住む環境を選ぶということ。自分が何をして生計をたてて生きて行くのか、ということに適した場所を選んで生きる。一箇所にしがみついて生きる必要はないのです。それから、いつでも自己制御していること、両親や親族の面倒をみることも吉祥であると。

年をとってくると、世間のなかの名声というのはつねに変化して流れて行くんですね。毀誉褒貶の浮き沈みは避けられない。それに心が揺るがないこと。それからブッダの教えを学ぶこと。世の中の事柄というのは一つも当てにならないんです。

人間は歴史的に見ても、変なことばかりしている。そういう知識を学んでも理性が育たない。迷信が固まるだけ。だから迷信を片っ端から壊すブッダの教えを学んだ方が人間にとっては幸せだと思います。

国際関係でも領土問題などがありますね。人間というのは仲良くすべきなんですが、それを 措いて、岩一つのためにケンカばかり。国際紛争と言っても大騒ぎする様な問題はない。感情と無知とものすごい執着があるから、問題が起きる。人間は信じられないバカなんです。

人間はほんの数十年しか生きていないのに。みるみるうちに消えてしまうのに。家族も子供もどんどん変わっていく。決して逆戻りはしない。自分がもうすぐ消えなくてはいけないと分かるんです。自分がほんの一時期しかこの世界に居ないと分からないから争いが耐えない。

お釈迦様は慈しみで生きていた。つまらない事で足が引っかかって不幸になっている人々を見て、ああ可哀想だなと。純粋な哀れみ(大悲)のみで活動された。それはお釈迦様だけ。世の中に哲学者や宗教家がたくさんいますが、裏をみるとみんな怪しい。

架神恭介さんという方が『完全教祖マニュアル』(ちくま新書)という本を書いた。お笑い芸人みたいな感じの本ですが、中身はしっかり調べて書かれてる。教祖になりたければ、何か人の言葉をパクってテキトーなことを言ってしまえばいいんだと。それで誰かが信じてくれますよと。世の中にある宗教というのは、その通りにできています。

完全教祖マニュアル (ちくま新書)

理屈なんか通っていなくてもいいんだと。ワケの分からない支離滅裂なことを喋っても、後から知識人ががんばって勝手に膨大な理論をつけて正当化してくれますよと。それを読んで、私は『聖書』を思い出したんです(笑)。

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釈尊は仏弟子にも、完全な慈しみで生きることを説いた。神社の御守は何の役にも経ちませんが、御守にするというならば、『慈悲の瞑想』こそが最高の御守になるんです。糸を巻いたからといって守られるか分かりませんが、慈しみで生きるならば、断言的に守られます。たとえ自分を恨んで、カラクリして陥れようという人がいても、効き目がないんです。

慈しみは最高のガードになります。慈しみを強化すると自分の中から(業から)出てくる不幸も抑えられるのです。

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一年のはじめには「今年の計画」を立てたりするものですが、一年一年という単位は人間にとって長すぎるのです。一年単位で計画を立ててもうまく行くか分からない。計画なんて、無いと言った方がいいんです。仏教的な勝負は一日計画です

一日単位だったらそう大胆に変わる事はない。一日一日で勝負する。一日の計画で生きることを理性的で、成功する生き方です。失敗しタッて対した事は無い。大雪で立ち往生した人々もそれに忍耐した事を自慢出来る。計画は果たせなくても、それがかえって面白くなる。

阿羅漢たちがよく唱えたBhaddekaratta-gatha(「日々是好日」偈)という詩がありました。きょう一日だけでも怒らないようにするぞ、と頑張れば、その人は成功します。いろんな事が起こっても、きょうは感情的にならないと決めたんだから、と抑えれば、一日で怒りの病気が治ります。

悩みと縁のない生き方―「日々是好日」経

神様の話とか、希望を叶える壺の話とかの方が面白いかもしれませんが(笑)。理性的に生きることが最高の吉祥である、というお釈迦様の言葉を「お年玉」として持ち帰って、どうぞ幸福な一年をお過ごしください。(メモ文責:佐藤哲朗)

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

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このページは、naagitaが2011年1月 2日 21:19に書いたブログ記事です。

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