2009年10月アーカイブ

真理と道徳は分けられない 増支部4集「婆羅門真諦経」講義より(120分)をダウンロード

DSC_0200.JPG......地球が丸いということは真理ですけど、そこから出てくる道徳はなんですか?ブッダの場合は、道徳と真理は不可分なんです。そこは、仏教を哲学として学ぶ場合には気を付けるべきポイントです。仏教では、真理と道徳は不可分なんです。......(スマナサーラ長老の講義メモより)
2009年10月27日、ゴータミー精舎で行われたスマナサーラ長老のパーリ経典解説の音声をpodcast配信いたします。

今回のテキストは、Aṅguttaranikāyo Catukkanipātapāḷi 5. Brāhmaṇasaccasuttaṃ 増支部4集「婆羅門真諦経」です。異教の遊行者との対話を通じて、ブッダの説かれた真理の偉大さが浮き彫りになるスリリングな経典j講義です。

 ......バラモン人がみな「殺生するなかれ」と言っているわけではないのです。しかし「殺生してはいけない」というバラモンもいた。それは本当のことを言っているんだよと、釈尊は超越した悟りの智慧で語るのです。
 一般人は「殺生してはならない」と(ただ)いう。釈尊は、それが真理であると発見する。
 ポイントは、生命に害を与えてはならないということは誰でも言っていることですが、ある修行者は瞑想して得た覚りの智慧で、「あ、この人たちは本当のことを言っているんだ」と発見することです。かといって、その人は自分がエライ宗教家だと思っていない。バラモンだと思っていない。優れた人間だとも思っていない。私の智慧は皆と同じになったとも思わない。他人よりレベルが低いとも思わない。しかし、発見した事実・真理があるから、その真理によって、生命には一切害意を持たずに憐みを持って生活する。
 それは、釈尊のことを言っているのです。すごいことを発見したからと言って、自分がエライ修行者だとは思わない。そんなような気持ちは一欠けらもない。ただ真理を発見した。その発見した真理によって生きている。生命に対する憐みをもって......。それが本物の生き方なんです。
 釈尊にはまったく自我が無い。「あなたは何者ですか?」と問われても、答えが無いんです。「われは神である」とか「我こそは仏陀である」とか、そういう人々は誇大妄想という病気なんです。ほんとは治療すべきなんですけど......その代わりに、皆で拝んでいるんですね。
 釈尊はこれほどの真理を発見しているのに、自分、という立場が消えている。自我が無い、実体がない境地に達しているんです。......(スマナサーラ長老の講義メモより 文責:佐藤哲朗)
パーリ語のテキストは、以下のリンク先からダウンロードしてください。

2009_1027gotami_sutta_AN_4-185.pdf

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

11月20日に発送された日本テーラワーダ仏教協会の機関誌『パティパダー』B.E.2552/2009年11月号(vol.16 no.7)をご紹介します。表紙イラストタイトルは、野口香さんの奉納です。

h1_4_11_B_09.jpg

主要目次は以下のPDFファイルをご覧ください。

pp200911mokuji.pdf

☆『パティパダー(paTipadaa)』は日本テーラワーダ仏教協会の会員向け月刊誌です。

<入会(購読)方法>
初年度会費として、7千円(次年度から年間5千円)を下記の郵便口座までお振込みください。通信欄には「 入会希望」と記入してください。毎月、機関誌『パティパダー(paTipadaa)』をお送りいたします。※パティパダー購読のみ希望の場合も条件は同じです。ご不明の点は協会事務局まで、お電話(03-5738-5526)か電子メール(info◆j-theravada.net ※◆を@に変えてください)でお問合せください。 

【郵便振替口座】
00120-5-763914 日本テーラワーダ仏教協会
※協会への入退会は自由です。

生きとし生けるものが幸せでありますように


2009年10月16日、佐賀新精舎(佐賀県鹿島市音成)で初となるスマナサーラ長老指導の瞑想会が開催されました。静かな農村風景のなかにある精舎で行われたご法話のメモをご紹介します。困難な状況下で、農業に携わるすべての人々に、読んでいただければと思います。

CIMG2162.JPG
「......こういう場所では、お釈迦様の時代と同じ環境で説法できるんですね。おだやかで静かで、農業で生活している、こういうところでは仏陀の教えはものの見事に語られます。大都会ではちょっと難しいんです。

 みなさんの仕事は、人間がいる限り、欠かせない、絶対やらなくてはいけない仕事なんです。他の仕事、服のデザインとか、美容師になるとか、音楽家とか、そういう仕事が成り立つのは、人間が食べていけているからです。食べて幸せでいるから、もうちょっと遊びましょう、楽しみましょうというところでかっこいい服を探す。だから髪の毛も、というのはずっと後で出てくることです。まず、命をつなぐために栄養が必要なのです。それをつないでいるんだから、食べ物を作るということは、たいへん大事な仕事です。職業そのものも徳行になる。食べられる作物を植えて育てるだけで、善行為です。それで人が生きているんですから。

 農業はそれ自体が徳になる、「徳行」です。......この世界で、仕事イコール徳行になることはなかなかありません。ですから、そういう気持ちで仕事してほしいんです。たいへんなことだ、遊びじゃないんだ、人の命を預かっているんだと。

 皆さんには嫌われていますが、このへんのイノシシも、おかげで贅沢しているでしょう。皆様の畑にイノシシが入って食べて、皆様の努力で彼らも豊かに生きている。皆様が動物たちも幸福にしてあげているんです。イノシシは作物を盗んでいくけど、それでも、「しょうがないんだ、イノシシも元気でいてほしい」という気持ちでいると、被害は少なくなるんです。農業して残った作物は、動物たちの分なんです。慈しみを広げていくと、不可思議なことに、動物も残ったもの、役に立たないものを食べていくんですよ。

 農業をしていると、ものごとは毎日変化するというのが、よく見えます。さっきも藤井さんと話していたけど、オクラが育って育って、朝も昼も二回も収穫しないと追いつかない。で、明日収穫するぞ、と思ったら、もう売り物にならなくなってしまう。そのくらい早く変化するんです。みるみるうちに変化する。ものごとは絶えず変化している過程です。一瞬も休めない人生なんです。稲といっしょにわれわれも年をとっていく。麦をつくって、米を作って、また麦を作ってと、休めない。体感していますね、わがままいえないこと、流れの中で生きていかなければならないことを。

 自然の法則は摩訶不思議です。みんなが頑張ると、因果法則の中で、一時的な結果が出るだけ。おいしそうなオクラも、明日、収穫するのではダメです。今日、取らないといけない。結果も一時的です。そうやって生きていると、なんでも無常で流れているんだとわかるでしょう。でも、原因がぜんぶそろったら豊作になるかというと、それもわからない。台風が来たらどうなるか、日照になったり、雨が降りすぎたりしてもダメでしょう。そういう条件もそろわないといけない。

 無常といったら、なんでもかんでも無常です。しかしすべて因果法則の中なのです。ひとつもわがままは通じません。人間が貢献するところはほんのわずかで、無数の因果関係の流れの中で、条件がそろったら豊作になる。それさえも一時的で、それは誰か(絶対者)がやっているわけではないのです。「すべて因果法則である、縁起である」と、毎日、体感できる。(農業を仕事にする人々は)仏教を理解するために、心清らかにするために、すばらしい環境にいるんです。......」

(2009年10月16日 佐賀新精舎でのスマナサーラ長老ご法話より。メモ・文責:佐藤哲朗)

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

このアーカイブについて

このページには、2009年10月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2009年9月です。

次のアーカイブは2009年12月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.1