2008年10月アーカイブ

三田新精舎「戒壇院」お布施式での法話(46分22秒)をダウンロード

IMG_5511.JPGのサムネール画像去る10月28日、兵庫県三田市の日本テーラワーダ仏教協会三田新精舎で執り行われた「戒壇院」を四方サンガにお布施する重要な法事が執り行われました。>>>報告記事はこちら

今週のDhammacastでは、お布施式でのスマナサーラ・ナーヤカ長老のご法話と法要の様子をほぼノーカットで配信いたします。

この慶事の功徳によって、皆様が幸福に暮せますように。障害なく、涅槃へと達せられますように。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

IMG_5463.JPG三田新精舎 

講堂起工式と戒壇お布施式のご報告

みなさま:

 秋晴れの晴天の中、昨日(2552/H20/2008年10月28日)、講堂起工式と戒壇お布施式が共に無事執り行われました(兵庫県三田市で建設中の新精舎敷地にて)。

 両法要に参加された皆様、お布施などで御協力下さった皆様、気に掛けて随喜して下さった皆様、そして、忘れてはなりません、前々から敷地の草引きや戒壇の掃除や仏旗のメンテなどずっとお世話して下さった皆様、その上、数日前から、また前日から泊まり込みで、仏具やテントや椅子などを運び込み、お荘厳を万端調えて下さった皆様、大変お世話になりました。

 また、施工主さんがこの日のために水道も電気もトイレも取り付けて下さいまして、ありがとうございました。お陰様で何不自由なく、法要に専念できました。

IMG_0206.JPG お陰様で、お荘厳も他の準備も、先生(スマナサーラ・ナーヤカ長老)のチェックは一発合格でした。というより、先生が朝8時にチェックのために?ひと足先にお出でになったその時から、先生は、これなら何の心配もないという感じでとてもご満足そうでした。皆様の精一杯が心一つに、素直に発揮されて、大きな力になったのだと思います。その上、天候も、三田の秋だというのに、お日さまぽかぽかで暖かく、見守ってくれているようでした。

 スマナサーラ先生と4名のお坊様がお越し下さり、まず、講堂棟の起工式を起工の祝福という感じでおこなって下さいました。参加者全員が鍬入れをした鍬は当日近所の方からお借りしたものですが、貸して下さった方は、ここにテーラワーダの精舎が建つと聞いたときは、始めはどんなことになるやらという感じだったそうですが、今ではしっかりと信用して快く協力して下さっているそうです。いつもお世話をしている会員の方や業者さんの礼節をわきまえた日頃のおこないのおかげで、まず、人格的に信用されたのだと思います。

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 続いて、戒壇を四方サンガにお布施する儀式を戒壇内でおこないました。これこそが、まさにやるべき、とてつもない大慶事だったようです。

 始めに先生が、施主の代表である天野さんに、なんで戒壇を四方サンガにお布施しようと思ったのかと問い、天野さんの決意をお聞きになりました。一応、作法にあるのだと思いますが、比丘サンガと施主がこの問答をすることで、施主たちの、今こそここでお布施するぞという気持ちを再確認し、鼓舞する意味もあったでしょう。

 それから天野さんと笛岡泰雲さんと小西会長の3名に代表で前に出てもらい、全員でいっしょにお布施の言葉を三度唱えるよう、先生が導かれました。

 私たちが仏教のために使うと決めて建立してきた戒壇、そして講堂、そしてそれらを支える境内地なのですが、在家がそのまま使うのと、仏法のためにどうかお使い下さいと、丸ごと四方比丘サンガにお布施して、それから私たちも使うのとでは、天地がひっくり返るほどの違いがあるようです。四方サンガにお布施して初めて、四方サンガと仏法そのものからのご加護が存分に入り、私たち在家も守られて、安心して仏道に励めるようになるのです。

IMG_0198.JPG たとえば先生のお言葉では、「これまではここは在家のものだったから、ここで法事をしても風は吹く、雨は降る、寒いし、さんざんだったでしょう。四方サンガにお布施したら、天気まで、こうやって支えてくれます」ということのようです。冗談めかしておっしゃっていましたが・・・。

 四方サンガに精舎をお布施する力について、詳しくは、先生の「お布施式説法」のアップをどうぞお楽しみにお待ち下さい。(Dhammacastにて配信されました。)

  だらだらと長くなってすみませんでした。

 まず先に完成した戒壇が、このたびとうとう、四方比丘サンガにお布施されました。ここまで三田新精舎建立を支えて来られた皆様にあつくお礼を申し上げます。皆様に、四方比丘サンガからのご加護が行き渡ります。

 最終段階に入った講堂棟建立も、いよいよ11月に着工します。ここからは在家だけの力ではなくサンガのお守りがありますので、スムーズに進みます。

 これまでの皆様の御支援に感謝するとともに、皆様がサンガの力に守られてこれからも仏道を弛まずにお進み下さいますことを共にお慶び申し上げます。本当にありがとうございました。

藤本慈照拝

(写真撮影:趙顕治,中条富子)


~生きとし生けるものが幸せでありますように~

2008年10月25日ゴータミー精舎で開催されたスマナサーラ長老「ヴィパッサナー瞑想と法話の会」初心者の方との質疑応答より。

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幸福も不幸も自分が決める

Q 仕事をしていて過去のことを思い出したり、嫌なこと、失敗を思い出したり、将来を心配してしまったりして、目の前の仕事に集中できないことがあります。どうすれば、いまに集中できるでしょうか?

A 瞑想で最初に解決するのはそういう問題です。瞑想実践で悪い癖を直せば、ほとんど、人間にとっての問題は解決すると思います。私たちは自分の運命のことを、自分で考えているのです。別にどこかの誰も自分の運命、幸福、将来性、誰も管理しているわけではない。自分でやっているのです。不幸になる人は自分で意図的に不幸に、失敗する人も自分の計らいで、意図的に自分で失敗する。何でも自分で計画立ててやっていることです。そう理解して下さい。大失敗して仕事失敗して大変な人も、そういう計画なんです。それをまず理解してほしい。人に何も言うことは出来ないんです。自分の運命というものは全部自分がしっかりと計画立ててやっているんです。その結果として見事に、不幸になる計画の人は不幸に、幸福になる計画の人は幸福になる。だから、計画通りうまくいくんです。

 そうなると疑問が起こる。誰でも不幸になりたいなど思っていない、幸福になりたいと計画立てるのが普通でしょう、と。そういう疑問が成り立ちますね。成功したいと思ってもなぜ成功しないのか。幸福になりたくてもなぜ幸福になれないのかと。

 事実は、自分が失敗を成功だと思っている、不幸を幸福だと思っているということなんです。それで計画を立てて実行しますから、結果が出たところで、「なんだこれ?失敗じゃないか」と思ったりする。嫌なことを思い出して、将来に不安を抱いて仕事に身が入らない。それで結果は不幸になる。でもやってしまうんです、目の前のことより、こちらの方が面白いと。好きでやっているんです。好きでやっているから、なかなか治らない。嫌でやっていることは、やめろといわれるのを待っていて、止めていいなら喜んで止める。好きなことはやめろと言われても、隠れてやってしまう。子供は、ゲームをやると頭が悪くなると知っています。でも勉強しないでゲームをやるでしょう。いくら頭悪くなっても、バカになってもゲームの方が面白いんです。やりたいんです。人間を観察すると、小さい頃から、その人ごとの計画で生きているんです。観察すると、それが見えます。この人はこういう計画で生きている。その計画変えないならば、将来はこういう結果になると、計画変えないならば、という条件付きで予想して言うこともできます。

 では、どうすればいいんでしょうか。
 好きでやっているんだから、他人には管理できないでしょう。

 せっかくですから、単純に方法というより、人生について勉強しておきましょう。
 私たちは一人ひとり自分で作った計画があって、好んでやっている。自分にさえ変えられないんです。だから客観的に人生を見て、どういう生き方で幸福になるのかと、客観的に勉強してその上で計画を立ててやらないといけない。その場合は好んでやるということはなかなか出てこないから、がんばって精進して行うということにしないといけないんです。

 幸福になることは嫌いで、不幸になることは大好きでやめろと言われてもやる、という考え方は私の知ったことではないんです。他人がそうしたわけでもないし、自分自身がやっているんです。

 最初は好きでやっている悪い事を止めるためには、踏ん張った方がいいんです、最初の一歩は。勇気を出さない人は、新しくものごとを考える勇気、ものごと・人生を変えることの勇気というのも、人生の計画の一部なんです。でも、「腰を上げたくない」人は、そのために計画を立てるんです。そういう人の場合、見込みはほとんどない。まず勇気を出して立ちあがるということが必要です。判断力と実行力、まとめて仏教では「精進」というんです。過去を思い出すことも、将来を思い出すことも、自分が不幸になるために好きでやっていることだと理解してみれば、「こんなことでいいのか。成功して幸福になって何がわるいのか」と自分の頭が判断するでしょう。それが一つ、怠けもののやり方で、勇気のある人なら、「これっきりやらないぞ。幸福になってやるぞ」と、いきなり決めるんです。何か方法がないのか、という場合は、だいたい「やる気」がないんです。このままでいいや、ということなんです。それは本音を建て前でごまかそうとしているんです。建て前でいいことばかりいうと、本音がとんでもないんです。

 方法なんてないんです。ただ止めるだけ。やめる方法を聞く?自分でやっていることを止める方法ありますかと。自分で水を飲みながら、「あのぅ、水を飲むことを止める方法ありますかね?」と。自分が止めればいいでしょう。ゲームをやりすぎるから止めたいんだと、ゲームを隠したり、鍵をかけてしまったり、そうやって何か止める方法はないかと。そんなのは、バカな方法です。必要ない、自分が止めればいいんです。

 こういう質問はよく聞かれます、何か方法ないかと。でも、自分でやっていることに「方法」はないんです。誰か他人が来て邪魔をするのであれば、方法があります。でも、自分でやっているんだから。そういう心のポイントを覚えておいてください。

ありのままの自分―アイデンティティの常識を超える (お釈迦さまが教えたこと 4) 心を清らかにする気づきの瞑想法 ライバルのいない世界―ブッダの実践方法 (スマナサーラ長老の悩みをなくす7つの玉手箱 1) 悩まない力―あなたの心に秘められている (プラチナBOOKS)

 他に質問ないですか。ないでしょうね。聞きたいことは同じでしょうから......。

戦争と仏教

Q 有名な禅宗のS老師が、日露戦争で従軍して、優秀なので活躍してたくさんロシア人をやっつけた(殺した)という話があります。日本は大乗仏教ですが......お坊さんが召集された時は拒否しないといけないものでしょうか。

A 過去の出来事については私には何とも言えませんが。戦争しよう、人殺せというのはイスラム教やカトリック教の伝統でしょう。でもカトリック教の神父さんを召集しませんね、日本であっても。だらしない大乗仏教でも、「殺生しなさい」とは言わないんです。個人で悪いことしても、反省して謝って自分ががんばる。それは人間の普通の現象です。日本では昔は肉魚も食べなかった。そういう教えがありながら、戦争に召集されると、ノコノコ出て行く。でもカトリック教の神父さんを召集する勇気は、日本人にもなかったのに。

 そういう、人間らしからぬ恥ずかしいことについては、私の意見を聞かない方がいいんです。世の中というのは屁理屈、矛盾だらけです。Sさんにしても、人格的に矛盾じゃないですかね? 一般人が戦争に召集されて、いろんなことやって、けしからんことだったと、終わってから反省して坊主になったという人たちは、人格的には立派になります。自分がそういう悪いことをやって、この道に入った。悪いことは悪いんだよと知っているんだから。最初から、殺すなかれと教えている組織で出家しておいて、召集されたら兵隊に行って人殺しをして、あとでノコノコと戻ってきて、また説教するというのはどういうことでしょうか。やっぱり、人間が情けないということなんです。一般的に、誰でも善いことにはいつでも気が弱い。悪いことなら勇気を出して頑張ってしまうという。悪いことならみな一致団結して勇気出してがんばる。善いことになると言いわけばっかりする。殺すことは決していいことではないんです。殺す気持ちがあるから殺されるんです。殺されかけて、あいつが悪いんだから殺すんだぞと言ってもね。「殺すことは悪い」という文化が世界にないでしょう。

 アジアの国でも、キリスト教の基準で構成されて、殺さないことは野蛮人だ、鉄砲を持たないことは悪いとさんざん言われましたからね。スリランカでは、いまもくたくた言われます。でも仏教のお坊さんは、冗談にでも鉄砲には触りませんよ。見ることもしないんです。でも、(キリスト教資本が支配する)新聞マスコミでは、「仏教の僧侶は血に飢えているんだ」と攻撃する。実際に人殺しをするテロリストならば、一生懸命応援している。鉄砲に触れることもない僧侶をつかまえて、「血に飢えた坊主どもの責任である」と。だから、一回でもお坊さんがテロリストと戦ったことあるのかと。タミル人を攻撃したことがあるのかと。キャンディの本山にもよく脅迫状が来ますよ。お前ら全員、爆弾で吹っ飛ばしてやるぞとか、とても気持ち悪い汚い言葉を使ったりとか。でも本山の貫主さまは、みな仲良くしなけれといけないんだと、誰のことも攻撃しないように話している。でもそういう話はマスコミに載らないんです。たとえ載ってもシンハラ語新聞だけ。英語では僧侶は「血に飢えている」という話です。

 世の中では、人の物を奪うことしか教わってないでしょう。資本主義とか言っても、要するに「泥棒のススメ」でしょう。どんな事をしてでも、とことん儲けろ、金があることが正しい、金がなければ犯人で悪いと。そういうことで、人々が生きることは二の次、自分だけ生きていればいい、という態度なんです。一人に必要なものをはるかに超えて、100万人分の資源を一人で集めて、使うこともできないでいる。

 (白人の識者たちは)二酸化炭素減らそうと言いながら、個人でジェット機に乗って行きたいところに行くんです。それでわれわれに説教するんです、「二酸化炭素減らしなさいよ」とね。そういうアベコベの文化に攻撃されても、私たちスリランカ人は彼らを逆に野蛮人あつかいしましたからね。「白人には文化も、道徳のかけらもないんだ、気をつけろよ、付き合うと自分たちも野蛮人になるんだよ」と。
 いまの流行りは、キリスト教から、イスラム文化になりかわってますから。どちらも「殺せ、殺せ」という、「殺しなさい、奪いなさい」という文化なんです。精神的に弱い人に負けるのは情けないことです。鉄砲よりは精神の方が強いんですけど。

 だから、答えがないんです。そういう狂った価値観から出てくる疑問には。戦争に行くべきか否かとか、国が決めたんだけどどうしようとか。元から間違いですからね。なぜ最初から、キリスト教文化にあわせて生きようとするのか。だから混乱するんです。日本にしても、昔は「西洋に対抗しているんだ」とか、「天皇陛下が神だ」とか。結局、キリスト教文化と同じことでしょう。向こうのかわりに、対抗してこっちも新しい神を作りますよと。

 日本の新興宗教見てみてください。みんな同じパターンなんです。開祖様が神様で、その人が死んだら息子や娘が神様になるという。宗教というのは個人の精神状態でしょう? それを自分が死んだら次は息子、というのはどういうことでしょうか。もしかしたら、その息子は一回もその宗教の教会に行ったことないかもしれません。ある新興宗教団体の開祖の息子は、小さい頃からヨーロッパに留学して、むこうで贅沢したい放題贅沢して、むこうで教育も受けて、もう中身はヨーロッパ人なんです。それで開祖様が死んだら戻ってきて、息子に跡を継がせると。信者さんもありがたがって喜んじゃって。どれほどバカかと。

 小さい会社では世襲もあるけど、基本は能力次第でしょう?お父さんがパイロットだから、息子も自動的にパイロットになってもらいますとか、そんなことはあり得ないでしょう。本人が努力していかないといけない。父がパイロットであることは何の影響もないんです。家に参考文献があって、宿題を手伝ってくれるくらいです。何考えているのか、自分でわからないのに考えているんだから。日本はなぜ戦争したのかと尋ねると、いろんな人がダラダラ話してくれますけど、バカバカしくて聞いてられない。私からすれば、一つも理由にならないんです。

 スリランカの田舎の人は、植民地時代にイギリスから召集されても、兵隊に行かなかったんです。英語もできない人々でしたが。「いえ、私たちの宗教では殺してはならないですから、行きません」と。彼らをひったてて軍事法廷にかけて皆殺しには......できなかったんです。しょうがないから兵営には入れて、戦闘に関係ない仕事をさせることになった。だから、昔はスリランカには、鉄砲に触ったことがない兵隊がいたんだから。大英帝国が相手でも、相手が折れて負けちゃったんです。仏教徒の精神の強さは並のものではないんです。キリスト教文化は、いちども仏教文化を屈服させることができなかった。その恨みがあって、いまだにいろんなカラクリをして仏教を攻撃するんですね。でも、いまのお坊さんはぜんぜん気にしないという態度です。私みたいに厳しく言いません。かえって相手を乗せてしまって、懐に飛び込んで、協力して仲間にしてしまう。それが出来るのも仏教だから。しっかりした文化があれば、何も問題ないんです。

 そういう自分たちの文化がありながら、かっこつけて他の文化をかぶってしまうと混乱するんです。権力者たちは、特にかぶり文化を受けてしまう。権力者は他の人々に差をつけたいから、他の文化をかぶるんです。それからは大変ですよ。教育システムも、働き方も、生き方も変わってしまって。でも一般人にはそれまでの生き方もあったりして。グチャグチャ混ざってまずい料理になりますよ。刺身にマヨネーズかけるような感じで、食えるんだけどなにか問題があることになるんです。

 はい、時間になりましたから、これで終わります。
(メモと文責:佐藤哲朗)

禅と戦争―禅仏教は戦争に協力したか 戦争は罪悪である―反戦僧侶・竹中彰元の叛骨 もうひとつの島国・スリランカ―内戦に隠れた文化と暮らし スリランカ―人びとの暮らしを訪ねて

 
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

大分での質疑応答:一分単位の「損得勘定」で心が育つ(44分28秒)をダウンロード

DSC_0200.JPG先週に引き続き、2008年10月5日(日)大分市アクロスホールで開催されたスマナサーラ長老講演と冥想指導の会『「死」なんかは気にならない生き方 ブッダの言葉は人生を明るくする』(主催:明西寺)午前中の質疑応答(Q&A)をDhammacast配信いたします。

「地球環境問題」から「振り込め詐欺」まで、スマナサーラ長老がブッダの智慧でズバリと答えます!

Q 地球環境問題をどう解決すればいいのか?
A 個々人が「一人分」を意識して無駄遣いしないことです。

Q 日々の生活でこころが散り散りに乱れてしまう。どうすればいいのか?
A 一分単位の「損得勘定」を実践すれば、心がみるみる成長しますよ。

Q 実践しても結果を感じられず、心の汚れを見せつけられます。どう理解すればよいでしょうか?
A 自分の心の汚れを知ることが成長の第一歩です。実践なしに仏教は成り立ちません。

Q テーラワーダの国にも幽霊はいるの?
A 幽霊(餓鬼)は人生の失敗者です。幽霊に生まれ変わることはとても恥ずかしいのです。

Q スリランカの先祖供養はどのようにしているの?
A 仏教の先祖供養はとてもシンプルです。「善行為」の功徳を先祖に必ず廻向するのです。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

2008-11-.eps.jpg10月20日午後、日本テーラワーダ仏教協会の機関誌『パティパダー』B.E.2552/2008年11月号(vol.15 no.7)をゴータミー精舎から発送しました。数日で、会員はじめ読者の皆様のお手元に届くかと存じます。

今月も発送ボランティアの皆様の御尽力で無事に発送を終えられました。また、11月号の表紙は根岸まり さんによる羊毛フェルトで仏伝を再現した「立体」作品です。

今月号の主要目次は、 こちらのPDFファイル をご覧ください。

☆『パティパダー(paTipadaa)』は日本テーラワーダ仏教協会の会員向け月刊誌です。

<入会(購読)方法>
初年度会費として、7千円(次年度から年間5千円)を下記の郵便口座までお振込みください。通信欄には「 入会希望」と記入してください。毎月、機関誌『パティパダー(paTipadaa)』をお送りいたします。※パティパダー購読のみ希望の場合も条件は同じです。ご不明の点は協会事務局まで、お電話(03-5738-5526)か電子メール(gotami◆m05.itscom ※◆を@に変えてください)でお問合せください。
 

【郵便振替口座】
00120-5-763914 日本テーラワーダ仏教協会
※協会への入退会は自由です。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

『大分講演:「死」なんかは気にならない生き方』(1時間36分)をダウンロード

SANY0021.JPG2008年10月5日(日)大分市アクロスホールに400名近くが集って開催されたスマナサーラ長老講演と冥想指導の会『「死」なんかは気にならない生き方 ブッダの言葉は人生を明るくする』(主催:明西寺)午前中の講演をDhammacast配信いたします。

幸福に生きるために、一分毎に自分のこころの収支(黒字か赤字か)を確認する仏教的「損得勘定」のススメ

などなど、目から鱗が落ちる、いますぐ使える生きるヒントに溢れた法話です。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

『福岡講演:ブッダの真理で解く社会問題』(1時間58分36秒)をダウンロード

SANY0030.JPG今回のDhammacast(法話ポッドキャスティング)は、2008年10月4日 (土)に開催されたスマナサーラ長老の2回目となる福岡講演&瞑想会『ブッダの真理で解く社会問題~社会とは心の投影に過ぎない~』(主催:福岡ダンマサークル)から、午前中の講演と質疑応答の模様を配信いたします。

私たちには自分の人生を切り開く力がある

「私たちは、何の証拠もない、神の恩寵や信仰に惑わされることなく、自分には自分の人生を切り開く力があるのだと、自信を持つことです。今日の話はそこから始まります。

「あ あ、どうしようもない」と思うことは心の病気なのです。「どうしようもない」ことなど無いんです。どうにかなります。お釈迦様は私たちに、生きることは何 なのか? 何のために生きるのか? 努力とは何なのか、何に努力するのか? と明確に、客観的に分析して、ベストの判断で生きてみることを教えたのです。

それって生きるために必要な能力です。たとえば学ぶと言えば、いくらでも学問の分野があって、いくらでも学ぶことがあるでしょう。「学ぶ」といっても、無差別に学ぶということはあり得ない。そこで選択するということが出てきます。我々には「選択する」という能力が必要になるのです。......」

幸福は自己責任です

『私のせいじゃありません』という思考は、宗教が長い時間をかけて私たちに教えてくれたものです。しかしそれが、人類にとって危険な思考なのです。......私たちには基本的な間違いがあるのです。誰誰のせいで自分が不幸になったということはあり得ないのです。幸福になるのも不幸になるのも自己責任だよ、ということはいろんな機会を通じて、教えてあげなければいけない事実なのです

自業自得はブッダが説かれた絶対的な真理です。自業とは自分の行いです。自得とは自分で取ることです。自分が一生懸命努力して、成功することも自業自得なのです。善かれ悪しかれ関係なく、一切自業自得だということは大事な教えなんです。自分で責任を持たなくてはいけないんです。......」

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

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