2008年10月アーカイブ

2008年10月25日ゴータミー精舎で開催されたスマナサーラ長老「ヴィパッサナー瞑想と法話の会」初心者の方との質疑応答より。

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幸福も不幸も自分が決める

Q 仕事をしていて過去のことを思い出したり、嫌なこと、失敗を思い出したり、将来を心配してしまったりして、目の前の仕事に集中できないことがあります。どうすれば、いまに集中できるでしょうか?

A 瞑想で最初に解決するのはそういう問題です。瞑想実践で悪い癖を直せば、ほとんど、人間にとっての問題は解決すると思います。私たちは自分の運命のことを、自分で考えているのです。別にどこかの誰も自分の運命、幸福、将来性、誰も管理しているわけではない。自分でやっているのです。不幸になる人は自分で意図的に不幸に、失敗する人も自分の計らいで、意図的に自分で失敗する。何でも自分で計画立ててやっていることです。そう理解して下さい。大失敗して仕事失敗して大変な人も、そういう計画なんです。それをまず理解してほしい。人に何も言うことは出来ないんです。自分の運命というものは全部自分がしっかりと計画立ててやっているんです。その結果として見事に、不幸になる計画の人は不幸に、幸福になる計画の人は幸福になる。だから、計画通りうまくいくんです。

 そうなると疑問が起こる。誰でも不幸になりたいなど思っていない、幸福になりたいと計画立てるのが普通でしょう、と。そういう疑問が成り立ちますね。成功したいと思ってもなぜ成功しないのか。幸福になりたくてもなぜ幸福になれないのかと。

 事実は、自分が失敗を成功だと思っている、不幸を幸福だと思っているということなんです。それで計画を立てて実行しますから、結果が出たところで、「なんだこれ?失敗じゃないか」と思ったりする。嫌なことを思い出して、将来に不安を抱いて仕事に身が入らない。それで結果は不幸になる。でもやってしまうんです、目の前のことより、こちらの方が面白いと。好きでやっているんです。好きでやっているから、なかなか治らない。嫌でやっていることは、やめろといわれるのを待っていて、止めていいなら喜んで止める。好きなことはやめろと言われても、隠れてやってしまう。子供は、ゲームをやると頭が悪くなると知っています。でも勉強しないでゲームをやるでしょう。いくら頭悪くなっても、バカになってもゲームの方が面白いんです。やりたいんです。人間を観察すると、小さい頃から、その人ごとの計画で生きているんです。観察すると、それが見えます。この人はこういう計画で生きている。その計画変えないならば、将来はこういう結果になると、計画変えないならば、という条件付きで予想して言うこともできます。

 では、どうすればいいんでしょうか。
 好きでやっているんだから、他人には管理できないでしょう。

 せっかくですから、単純に方法というより、人生について勉強しておきましょう。
 私たちは一人ひとり自分で作った計画があって、好んでやっている。自分にさえ変えられないんです。だから客観的に人生を見て、どういう生き方で幸福になるのかと、客観的に勉強してその上で計画を立ててやらないといけない。その場合は好んでやるということはなかなか出てこないから、がんばって精進して行うということにしないといけないんです。

 幸福になることは嫌いで、不幸になることは大好きでやめろと言われてもやる、という考え方は私の知ったことではないんです。他人がそうしたわけでもないし、自分自身がやっているんです。

 最初は好きでやっている悪い事を止めるためには、踏ん張った方がいいんです、最初の一歩は。勇気を出さない人は、新しくものごとを考える勇気、ものごと・人生を変えることの勇気というのも、人生の計画の一部なんです。でも、「腰を上げたくない」人は、そのために計画を立てるんです。そういう人の場合、見込みはほとんどない。まず勇気を出して立ちあがるということが必要です。判断力と実行力、まとめて仏教では「精進」というんです。過去を思い出すことも、将来を思い出すことも、自分が不幸になるために好きでやっていることだと理解してみれば、「こんなことでいいのか。成功して幸福になって何がわるいのか」と自分の頭が判断するでしょう。それが一つ、怠けもののやり方で、勇気のある人なら、「これっきりやらないぞ。幸福になってやるぞ」と、いきなり決めるんです。何か方法がないのか、という場合は、だいたい「やる気」がないんです。このままでいいや、ということなんです。それは本音を建て前でごまかそうとしているんです。建て前でいいことばかりいうと、本音がとんでもないんです。

 方法なんてないんです。ただ止めるだけ。やめる方法を聞く?自分でやっていることを止める方法ありますかと。自分で水を飲みながら、「あのぅ、水を飲むことを止める方法ありますかね?」と。自分が止めればいいでしょう。ゲームをやりすぎるから止めたいんだと、ゲームを隠したり、鍵をかけてしまったり、そうやって何か止める方法はないかと。そんなのは、バカな方法です。必要ない、自分が止めればいいんです。

 こういう質問はよく聞かれます、何か方法ないかと。でも、自分でやっていることに「方法」はないんです。誰か他人が来て邪魔をするのであれば、方法があります。でも、自分でやっているんだから。そういう心のポイントを覚えておいてください。

ありのままの自分―アイデンティティの常識を超える (お釈迦さまが教えたこと 4) 心を清らかにする気づきの瞑想法 ライバルのいない世界―ブッダの実践方法 (スマナサーラ長老の悩みをなくす7つの玉手箱 1) 悩まない力―あなたの心に秘められている (プラチナBOOKS)

 他に質問ないですか。ないでしょうね。聞きたいことは同じでしょうから......。

戦争と仏教

Q 有名な禅宗のS老師が、日露戦争で従軍して、優秀なので活躍してたくさんロシア人をやっつけた(殺した)という話があります。日本は大乗仏教ですが......お坊さんが召集された時は拒否しないといけないものでしょうか。

A 過去の出来事については私には何とも言えませんが。戦争しよう、人殺せというのはイスラム教やカトリック教の伝統でしょう。でもカトリック教の神父さんを召集しませんね、日本であっても。だらしない大乗仏教でも、「殺生しなさい」とは言わないんです。個人で悪いことしても、反省して謝って自分ががんばる。それは人間の普通の現象です。日本では昔は肉魚も食べなかった。そういう教えがありながら、戦争に召集されると、ノコノコ出て行く。でもカトリック教の神父さんを召集する勇気は、日本人にもなかったのに。

 そういう、人間らしからぬ恥ずかしいことについては、私の意見を聞かない方がいいんです。世の中というのは屁理屈、矛盾だらけです。Sさんにしても、人格的に矛盾じゃないですかね? 一般人が戦争に召集されて、いろんなことやって、けしからんことだったと、終わってから反省して坊主になったという人たちは、人格的には立派になります。自分がそういう悪いことをやって、この道に入った。悪いことは悪いんだよと知っているんだから。最初から、殺すなかれと教えている組織で出家しておいて、召集されたら兵隊に行って人殺しをして、あとでノコノコと戻ってきて、また説教するというのはどういうことでしょうか。やっぱり、人間が情けないということなんです。一般的に、誰でも善いことにはいつでも気が弱い。悪いことなら勇気を出して頑張ってしまうという。悪いことならみな一致団結して勇気出してがんばる。善いことになると言いわけばっかりする。殺すことは決していいことではないんです。殺す気持ちがあるから殺されるんです。殺されかけて、あいつが悪いんだから殺すんだぞと言ってもね。「殺すことは悪い」という文化が世界にないでしょう。

 アジアの国でも、キリスト教の基準で構成されて、殺さないことは野蛮人だ、鉄砲を持たないことは悪いとさんざん言われましたからね。スリランカでは、いまもくたくた言われます。でも仏教のお坊さんは、冗談にでも鉄砲には触りませんよ。見ることもしないんです。でも、(キリスト教資本が支配する)新聞マスコミでは、「仏教の僧侶は血に飢えているんだ」と攻撃する。実際に人殺しをするテロリストならば、一生懸命応援している。鉄砲に触れることもない僧侶をつかまえて、「血に飢えた坊主どもの責任である」と。だから、一回でもお坊さんがテロリストと戦ったことあるのかと。タミル人を攻撃したことがあるのかと。キャンディの本山にもよく脅迫状が来ますよ。お前ら全員、爆弾で吹っ飛ばしてやるぞとか、とても気持ち悪い汚い言葉を使ったりとか。でも本山の貫主さまは、みな仲良くしなけれといけないんだと、誰のことも攻撃しないように話している。でもそういう話はマスコミに載らないんです。たとえ載ってもシンハラ語新聞だけ。英語では僧侶は「血に飢えている」という話です。

 世の中では、人の物を奪うことしか教わってないでしょう。資本主義とか言っても、要するに「泥棒のススメ」でしょう。どんな事をしてでも、とことん儲けろ、金があることが正しい、金がなければ犯人で悪いと。そういうことで、人々が生きることは二の次、自分だけ生きていればいい、という態度なんです。一人に必要なものをはるかに超えて、100万人分の資源を一人で集めて、使うこともできないでいる。

 (白人の識者たちは)二酸化炭素減らそうと言いながら、個人でジェット機に乗って行きたいところに行くんです。それでわれわれに説教するんです、「二酸化炭素減らしなさいよ」とね。そういうアベコベの文化に攻撃されても、私たちスリランカ人は彼らを逆に野蛮人あつかいしましたからね。「白人には文化も、道徳のかけらもないんだ、気をつけろよ、付き合うと自分たちも野蛮人になるんだよ」と。
 いまの流行りは、キリスト教から、イスラム文化になりかわってますから。どちらも「殺せ、殺せ」という、「殺しなさい、奪いなさい」という文化なんです。精神的に弱い人に負けるのは情けないことです。鉄砲よりは精神の方が強いんですけど。

 だから、答えがないんです。そういう狂った価値観から出てくる疑問には。戦争に行くべきか否かとか、国が決めたんだけどどうしようとか。元から間違いですからね。なぜ最初から、キリスト教文化にあわせて生きようとするのか。だから混乱するんです。日本にしても、昔は「西洋に対抗しているんだ」とか、「天皇陛下が神だ」とか。結局、キリスト教文化と同じことでしょう。向こうのかわりに、対抗してこっちも新しい神を作りますよと。

 日本の新興宗教見てみてください。みんな同じパターンなんです。開祖様が神様で、その人が死んだら息子や娘が神様になるという。宗教というのは個人の精神状態でしょう? それを自分が死んだら次は息子、というのはどういうことでしょうか。もしかしたら、その息子は一回もその宗教の教会に行ったことないかもしれません。ある新興宗教団体の開祖の息子は、小さい頃からヨーロッパに留学して、むこうで贅沢したい放題贅沢して、むこうで教育も受けて、もう中身はヨーロッパ人なんです。それで開祖様が死んだら戻ってきて、息子に跡を継がせると。信者さんもありがたがって喜んじゃって。どれほどバカかと。

 小さい会社では世襲もあるけど、基本は能力次第でしょう?お父さんがパイロットだから、息子も自動的にパイロットになってもらいますとか、そんなことはあり得ないでしょう。本人が努力していかないといけない。父がパイロットであることは何の影響もないんです。家に参考文献があって、宿題を手伝ってくれるくらいです。何考えているのか、自分でわからないのに考えているんだから。日本はなぜ戦争したのかと尋ねると、いろんな人がダラダラ話してくれますけど、バカバカしくて聞いてられない。私からすれば、一つも理由にならないんです。

 スリランカの田舎の人は、植民地時代にイギリスから召集されても、兵隊に行かなかったんです。英語もできない人々でしたが。「いえ、私たちの宗教では殺してはならないですから、行きません」と。彼らをひったてて軍事法廷にかけて皆殺しには......できなかったんです。しょうがないから兵営には入れて、戦闘に関係ない仕事をさせることになった。だから、昔はスリランカには、鉄砲に触ったことがない兵隊がいたんだから。大英帝国が相手でも、相手が折れて負けちゃったんです。仏教徒の精神の強さは並のものではないんです。キリスト教文化は、いちども仏教文化を屈服させることができなかった。その恨みがあって、いまだにいろんなカラクリをして仏教を攻撃するんですね。でも、いまのお坊さんはぜんぜん気にしないという態度です。私みたいに厳しく言いません。かえって相手を乗せてしまって、懐に飛び込んで、協力して仲間にしてしまう。それが出来るのも仏教だから。しっかりした文化があれば、何も問題ないんです。

 そういう自分たちの文化がありながら、かっこつけて他の文化をかぶってしまうと混乱するんです。権力者たちは、特にかぶり文化を受けてしまう。権力者は他の人々に差をつけたいから、他の文化をかぶるんです。それからは大変ですよ。教育システムも、働き方も、生き方も変わってしまって。でも一般人にはそれまでの生き方もあったりして。グチャグチャ混ざってまずい料理になりますよ。刺身にマヨネーズかけるような感じで、食えるんだけどなにか問題があることになるんです。

 はい、時間になりましたから、これで終わります。
(メモと文責:佐藤哲朗)

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~生きとし生けるものが幸せでありますように~

2008-11-.eps.jpg10月20日午後、日本テーラワーダ仏教協会の機関誌『パティパダー』B.E.2552/2008年11月号(vol.15 no.7)をゴータミー精舎から発送しました。数日で、会員はじめ読者の皆様のお手元に届くかと存じます。

今月も発送ボランティアの皆様の御尽力で無事に発送を終えられました。また、11月号の表紙は根岸まり さんによる羊毛フェルトで仏伝を再現した「立体」作品です。

今月号の主要目次は、 こちらのPDFファイル をご覧ください。

☆『パティパダー(paTipadaa)』は日本テーラワーダ仏教協会の会員向け月刊誌です。

<入会(購読)方法>
初年度会費として、7千円(次年度から年間5千円)を下記の郵便口座までお振込みください。通信欄には「 入会希望」と記入してください。毎月、機関誌『パティパダー(paTipadaa)』をお送りいたします。※パティパダー購読のみ希望の場合も条件は同じです。ご不明の点は協会事務局まで、お電話(03-5738-5526)か電子メール(gotami◆m05.itscom ※◆を@に変えてください)でお問合せください。
 

【郵便振替口座】
00120-5-763914 日本テーラワーダ仏教協会
※協会への入退会は自由です。

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