戒を守ることは「気づき」の実践(ダンマパダ84偈の講義より)

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2008年9月27日にゴータミー精舎で行われた、スマナサーラ長老「ダンマパダ講義」のメモです。久々のダンマパダ講義は、やっぱりすごかった。ここに書くのはかなり"自分なり"のまとめですが、参考にしていただければ幸いです。(文責:佐藤哲朗)

IMG_3985.JPGna attahetu, na parassa hetu,
自分のためにも、他人のためにも、

na puttam icche, na dhanaM, na raTThaM
子供(子孫・親族への保護)でも、財産でも、国(権力)でも、

nayicche adhammena samiddhim attano,
不法(罪を犯すこと)による成功・繁栄は望まない。

sa siilavaa, paJJavaa, dhammiko siyaa.
戒律ある人、智慧ある人、真理に達した人とはそんな人でしょう。
(Dhammapada 法句84)※

智慧の完成者は、罪を犯して何も得ようとはしないのです。真理を守る人は真理に守られます。真理を守る人を倒産させること、つぶすことはできない。たとえ国家権力でも無理です。半信半疑で道徳を守っても負けますよ、本心ではないのだかから。真理を守ることに心が決定になったら、その人は真理に守られる。それは心の法則によってそうなるのです。物質の法則も好き勝手に変えられないように、心の法則も変えられません。

仏道を完成して悟りに達するにはどうあればよいのでしょうか? 「成功したい・繁栄したい」という気持ちがあっても、心の中で「罪は犯しませんよ」と断言的に決めている。そのように心が決定的になることです。最初は無理にでも決定しておくこと。少々時間が経つと、それが心の本心になります。そうなると、その人は必ず悟りに達するのです。最初に心を決定しておけば、解脱に向って自動的に進む。それがダンマパダ84番の教えです。

「罪だけは犯さない」。それだけです。ブッダは、人間がふつうに生きていることは否定しないのです。むしろ、この偈の教えを実践するためには、ふつうの社会でふつうの社会人として生きる必要があります。そのように生活しながら、微塵も罪を犯さないぞ、と。そう決めることで、本人の生きる道がそのまま修行になるのです。それで解脱に達することができる。家族の面倒を見て、仕事して、友達も大切にして、でも、ちょっと一つだけ、心の中で変わるのです。「何があっても罪は犯しません。真理は破りません」と。

注意してほしいことですが、この4行の詩は、途中では切れません。がっちりとした論理構成があるからです。1~2行で状況を説明して、3行目でsamiddhi(成功・繁栄)という言葉にまとめて結論付けている。不法に成功・繁栄(子孫・財産・権力)を求めるなかれと。だから2行目と同じicche(iccha 求める)という言葉を使っています。

1~2行目で切って「自他のためにならないから、子供も、財産も、国も求めない」と引用してしまうと、反社会的・反人間的な思想になってしまいます。(実際、そのような訳文が多い)

3行目が釈尊の結論なのです。nayicche adhammena samiddhim attano,
ここは安全に引用できます。4行目は、3行目を受けての別の結論です。

釈尊の道徳は、俗世間の道徳と違うが、普遍的に「人間の幸福」を語っています
「子孫・財産・権力」を「不法に(非道徳的に)」望むなかれ、ということです。
2行目は、3行目のsamiddhiの具体的な説明です。つまり、人間にとっての成功とは何かという具体例を挙げているのです。

(皆さんは誤解されているようですが、)この偈では、出家主義を語っているわけではありません。
誰もが真理を守り、真理に守られる道を説いているのです。

仏教の実践とは、論理的な生き方です。何かの宗教を信じることではないのです。(因縁という)自然の法則にしたがって生きるということです。結婚式をキリスト教会であげなくてはならないという法(ダンマ)はない。自然の流れで現象がでてくるだけで。人間が結婚することも同じ。一人では子育てできないから、結婚ということになっている。それだけのことです。神が決めたことではありません。

そこで神の前で愛を誓うとか、そういう変なことをさせるのは宗教ですよ。仏教は何一つ変なことはさせないのです。変なことさせた時点で、単に「変」です。因果法則とはそういうこと。変は変なのです。変なことはあり得ません。世の中で、偶然というのはまったくありえない。偶然、偶然と口癖のように言うのは、その人の愚かさの表れです。ただ自分が期待しなかっただけでしょうに。偶然などあり得ないし、変もありえない。ふつうの(因縁の)流れなんです。

流れを勝手に変えることはできません。変えてはいけない。因果関係を知らない人が、流れを変えるとどんな結果になることか......。仏道とは他宗教のように「変な事」をする教えではなく、因果法則の流れの中で成長して、解脱に達する道なのです。

生命に自然にある、成功したい(繁栄したい)という気持ちは取り消せません。
それは放っておいて、真理に従って成功・繁栄する道を説くのです。

「何一つ罪を犯さずに生きるぞ」と実践することが、すなわちsati(気づき)です。
参照:「戒があるところには慧があり、慧があるところには戒がある。」(D.I.p124)。

気づき(sati)なしに「罪を犯さないこと」はできないのです。
だから、この偈を実践するだけで解脱に至ります。
四念処の実践も、八正道も、すべてこの偈の中に入っています。

ブッダの言葉は、完璧に語られています。たくさんのブッダの言葉のなかで、自分に分かりやすい偈を選んで実践すればいいのです。実践すると、自分でそこに八正道を発見することになります。しかしやるからには、24時間実践しないといけませんよ。(この偈の場合は3行目nayicche adhammena samiddhim attano,に24時間気をつけていることです。)

だから、やってみようとすると、けっこうキツイんです。
でも、本気でやれば、二週間くらいで預流果には悟りますよ。

※ワンギーサ師のブログ「困った時はダンマパダ」記事を参考に、訳文を修正しました。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

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このページは、naagitaが2008年9月27日 23:59に書いたブログ記事です。

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