鬱(うつ)はなぜ起こるのか?(Dhammacast)

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Img_3972 2008年7月19日「名古屋初期仏教デー」(日本ガイシフォーラム)でのスマナサーラ長老のご法話より。鬱はなぜ起こるのか? 理性の欠如がもたらす鬱病社会、「怠け」という猛毒、喜びが脳と心の栄養、など短いご法話の中に現代社会の病理を余すところなく分析し、そこから脱出する道までが見事に説かれています。

※法話メモは↓下のリンクをクリック!

Q 教員をしています。同僚のなかで鬱病、神経症など、心の病にかかっている人が多い。仏教の立場から見れば、鬱病についてどのようにを理解すればいいでしょうか?

A みんながそうやって鬱になるような環境を作っているでしょう。緊張して、できることもできないところまでややこしくして。だから、鬱になるのは当たり前だと思います。この社会システムを見ると、鬱になる人の数が少なすぎです。もっとなったほうがいいと思いますよ。皆さん、かなり忍耐力あるみたいです。

だから理性の生き方というのは、少ない努力で、効率的に仕事することです。世界にあるのは、まったく逆のことです。とことん仕事が嫌になるシステム作って、高い業績を求める。それで鬱になる。高い成績求めるなら、いかに勉強できるのか、というシステム作らないといけない。会社にしても同じでしょう。資料、資料、資料と、一日じゅうパソコンの前に座って、ちょっとしたことに何箇所も判子をおさないといけない。しっかりやっているつもりで、じゃぁ、年金はどうなっているのか。だれを馬鹿にしているのか? 自分たちです。管理の上に管理を重ねて、でもみなさまが納めた年金は記録していないんです。同じことは学校でも起こる。会社でも起こる。どこでも。恐ろしく無駄です。だから物の値段は高すぎる。家なんかも、。それほど金払って、大工さんは豊かですか? やっと生きているだけ。料理の値段は高くても、レストラン経営者が贅沢しているかと言えば、バイト代も払えないくらい。そうするとやりきれない。はぁどうしよう、お手上げだ、もうおっかない、という気分になる、心が。それで鬱になるんです。

だから、これはそう簡単に治らないんです。根本的に変えなければ。少ない努力でたくさん結果を出すということ。それが理性であって、それが頭いいということであって。そういうふうになると、もう鬱ではいられない。頭すごくピカピカ働いていますから。

だから、鬱の原因はいろいろあります。大人と子供と鬱の原因も違います。子供たちもやりたくない環境作って、やれやれ!というと。勉強したくない環境作って、無理にやらせる。学校言ったって先生たちは面白くないという印象作ったりして。スポーツでもそのクラブで入りたくない雰囲気作って。でも一度入ったらやらなくちゃいけない。子供たちに、やりたくない環境作って、やれやれとプレッシャーかける。そういうことだから鬱になっちゃうんです。どこかでエネルギーが切れてしまいます。

大人の場合、別の原因があって、ふつうまくいっていて、明るく仕事していて会社にも行って、突然、鬱になる。30代にはまだ将来あると思う。40代でも何とか頑張らなくちゃと。で、50代になるとわかるんです、「ああ、そのまんまだ」と。それまでの夢がぜんぶ、ひとかけらもなく消えるんです。会社に最初に入ったときの夢、がんばってやるぞ、成功するとという夢が消える。ただ、むちゃくちゃ仕事しただけ。「ああ、こんなもんか」と思うと、その瞬間から、手も足も何も動かなくなってしまう。そういうふうにいろいろあります。頑張っても、頑張っても結果がない。家の男が家族のためにむちゃ頑張る、でも奥さんは怒るばかりで感謝のひとつもない。子供たちも自分のことばかりで、父親が期待したようにはぜんぜん行っていない。大学に行っても中退したり。ものすごく怒って強引に卒業させても、何もやりたくないと引きこもる。それで父親も鬱になるんです。

たとえば、井戸があって、「井戸から100杯くらい水をくんでください」といわれて、50杯も汲むと楽しくなってくる。あと半分だから。それで、99杯目。これで100杯目。最高に楽しいんです。「やったぞ!」と。それだったら鬱にならないでしょう。人生は苦しいけど。役に立たないかもしれませんが、「汲んだ水」という結果はあるんです。そのまま流せといわれても、ずーっと流れていく水はあるんだから。逆に、「井戸に水を100杯入れてください」といわれたら、もう鬱になっちゃうんです。井戸に水を100杯入れても、1ミリも上がりませんから。最初の1杯を入れただけで、気持ち悪くなるんです。なんだこれと。タンクに水を入れるなら別ですよ。また池みたいなところで水が汚れて、そこに住んでいる魚も苦しんでいる。そこに水を入れてきれいにしてあげて、魚も元気になったりしたらすごく楽しい気分になるんです。でも、井戸に水を入れろと言われたら、1杯入れただけで気持ち悪くなります。100杯も入れたら鬱になる。もう何もしたくない。

これはたとえ話です。われわれ生きる場合は、井戸から水を汲むような方向で働かないといけない。井戸に水を入れるんじゃないんです。よくそういうことがあるんです。私は何やってるんだと。

鬱をなくす方法は、いつでも明るくいることです。とにかく笑うことなんです。

それから心には本来的に、怠けというものがありまして。誰も気づかないんですが、怠けというのは恐ろしい。私たちは何をやっても、心の中で「早く終わりたい。何時までかなぁ……」とかね。いつでもそれがある。怠けというのは面白くないんです。ものすごく怖い病気です。ずーっとあるんです、生命には。だから鬱は別に珍しいことじゃないんです。鬱になった当たり前。鬱になってないのはそうとうバカだと思います、逆にいえば。だって、人生は結局何やっても無意味でしょうに。すごい結果が出るわけではない。

生きることは本来、「苦」なんです。やることはちがっても結果だけ同じ、というのは、ちょっと納得いかないんです。ご飯食べない行為の結果は苦しみ、ご飯食べる行為の結果も苦しみ。これはホントは納得いきませんね。息を吸って止めても苦しいでしょ。息を吐いて止めても苦しいんです。それでむちゃ、吸ったり吐いたりしなきゃいけない。いつまで続けるんでしょうか。どこまでやるのかと。回数があれば楽なんです。一億回呼吸すれば十分だと。だから今日は二日分呼吸して、明日は楽しようと。そんなのありえないでしょう。それが人生ということです。吸って苦しいんだから吐く、吐いて苦しいんだから、吸う。そこで無限に、いきなり輪廻転生がセットされる。いかなる行為もそう言うことなんです。苦から逃げることです。逃げたところでまた苦しみなんです。燃料は何であっても炎は炎ですから。高価な白檀を燃やす炎も、生ごみ燃やす炎も、炎は炎です。生きるために我々いろんなことやっていますが、結果として、受ける感覚は苦なんです。 

だから怠けが、「やめたい」という気持ちがあるんです。皆さんにそれあるんですよ。毎日料理作ってますけど、一日でもやめたいと思ったことないんですか? ない? ずーっとそれが人生なんです。明確に言うと、われわれは喜んでいろいろやってしまうが、あの喜びはうそなんです。できればやめたいんです。できることなら止めたい、という気持ちがある。だから「怠け」というものが必然的にうまれるんです。生きることが苦なのですから。

でもみな無知だから、怠けたいんだけど、怠けることは恐ろしいんです。怠けることも生きる上の一つだから、結果は苦なんです。何かやって苦しみが生まれたら別なことすればいいんだけど、何もやらないで苦しみが生まれたら、それからもやらないことになってしまう。「やらない」ことにしたのは、「やれない」からでしょうに。そこから苦しみがうまれたら、次もやれない状態になる。だから怠けが少しでも生まれたら、すぐに鬱が待ち構えているんです。だから、人生はちょっとでもホッとしないほうがいい。次は何でしょうか、という挑戦的な気持ちでいたほうがいい。やっと大きな仕事終わってほっとしました、というのは危ない。いつも明るい気持ちでいる人が、どこかでちょっと一休みする。この一休みが、鬱になるんです。 だからいつでも仕事が一つ終わった、ということは他の仕事が次にある、ということ。順番であるということです。

だから、怠けをなくすんですよ。どうせ人生は苦ですからね、大胆に希望なんか作らないんです。単純に、やめるわけにはいきませんよ、という気持ちで、すごく気楽に生きてみるんです。会社に欲望あって希望あって、夢があっていくものではないんです。行かないわけにはいきません、という程度でいいんです。子供は学校に行かせないわけにはいかないんだからじゃぁ連れて行くぞと。だから何でも気楽で、やらないわけにはいかないんだから、という程度で人生生きてみると、すごくスムーズにつながっていく。休む瞬間ないんです。どうしても穏やかな気分感じたければ、瞑想して心の汚れ落とそうとかね。それにはふつうの人生よりもけっこう大変な仕事です。瞑想さえもも楽じゃないんです。しかしそれではじめて、静かな、涼しさ、というのが心に入るんです。表面的にいろんなことを派手に動いても、、内面は静かで、涼しくいられます。それ以外は、方法はありません。

ですから余計な希望・願望・期待ないこと。しかし怠けないこと。何でもやる。どんなときも、「気にしない」ことで、すぐ問題解決します。希望期待があると、~べきです、という気持ちで生きている人は、アホですね。そういう人々はちょっとしたことで、すぐにやめちゃいますね。やめるわけにはいかないんだから、という気分で、その都度その都度来ることはたったとやってしまえば、鬱になる暇がないんです。 

それから脳と思考ということで考えると、(心が)栄養にしているのは喜びなんです。喜びが栄養で、喜びという栄養を与えるから成長するんです。みなさんが心に与えないのはそれだけでしょう? その代わりに刺激を求めるんです。刺激を求めるということは、喜びがないということです。知識も、脳細胞も、能力も、何でも人格的に向上するものには栄養が必要なんです。体力だって上げたければ、栄養を取らないと。ただ運動しただけで筋肉の力あがらないでしょう。栄養を与えないと。人格の、知識の、脳細胞の栄養が、「喜び」なんです。喜びがあると、ずっとやるんです。止めないんです。それをなぜ捨てたんですか? なぜ何でも喜ばないんでしょうか? 

こちらに来る時、電車に乗ったら、いきなり男の子二人がハイスピードで電車に飛んできて、私の右側の座席に座って「ヤッター!ヤッター!」と。知らない子ですけどね、私は心の中で、「なにをやったの?」と聞きたくなったんです。そこで子供をからかいたい気持ちが生まれて、一言もしゃべってない私にも、喜びが生まれたんです。たぶん両親の座る分も取れたから、とうことでしょうけど、子供にしてみればそれだけでも「やったー!」なんですね。だから子供が明るいんです。バカでいいんです。子供は成長真っ最中だから、自然に(喜びという)栄養を取っているんです。だから、なんでも喜びなんです、世の中は。それが脳に必要な栄養です。そういうことで、鬱というのは何とか治せるのですが……頑張ってみてください。(法話メモ:佐藤哲朗)

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

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このページは、naagitaが2008年7月28日 02:06に書いたブログ記事です。

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