チベット問題について 歩み寄りと和解を願う声明

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チベット問題について
歩み寄りと和解を願う声明 >>中国語訳(簡体字)


去る三月十日、チベットのラサで僧侶のデモ隊が武装警察に暴行されたことをきっかけにして、中国各地でチベット仏教徒の抗議行動が起こり、中国当局の弾圧が続いているようです。私たちは同じ仏教徒として、この事態に深い悲しみを抱いています。私たちは中国政府に対して、チベット仏教徒への弾圧をやめて、チベットの宗教と文化が大切に守られるよう、民族政策を改めることをお願いするものです。

一連のチベット情勢を見ると、中国によるこれまでの民族政策は、チベット人の忍耐の限度を越えていたのではないかと思えてなりません。権力の強制で異なる民族を同化し、国民を単一化しようとする試みが決して成功しないことは、文化大革命の悲劇によって、中華人民共和国の政府と一般の方々は痛いほどわかっているではないでしょうか。中国にとってチベット人は少数民族かもしれませんが、それは弾圧の理由になりません。カルト宗教を何らかの理由を付けて取り締まることはあったとしても、昔から伝統を守って宗教を信仰する人々を弾圧してはならないのです。特に仏教は、一切の生命に対する慈しみを実践する、非暴力主義に徹した、政治家にも権力者にも迷惑をかけない宗教です。その仏教は、中国文化の一部でもあります。チベット人は誇り高い民族です。その宗教と文化を尊重し守ることは、中国文化をより豊かにし、世界の注目を中国に集めることにも繋がるのではないでしょうか。中国に暮らすチベット人が、宗教と文化の自由を享受し、幸福に暮らせるよう配慮することは自分たちの責任であると、指導者には理解して欲しいのです。

そのためには、中国政府が感情的になっていては始まりません。あれこれと条件を付けずに、大国らしい堂々とした態度で、チベット仏教のリーダーであるダライラマ法王との対話を再開することが必要だと考えます。 いろいろな民族が、お互いの文化を認め合いながら、なかよく平和的に共存することは、人類共通の理想と言えます。仏教は二五〇〇年前からずうっと、その理想を実現する方法を説いてきた宗教なのです。チベットでの出来事にいま世界中が注目しているのは、チベット仏教徒の平和を愛する生き方が、国や宗教を超えてたくさんの人々の尊敬を集めているからではないでしょうか。「生きとし生けるものが幸せでありますように」という仏教徒の願いは、敵も味方も差別しません。政治的な問題で一時的に対立したとしても、仏教徒は怨みに怨みで返したり、過去にこだわって憎み続けたりはしないのです。そういう仏教を実践するチベットの人々と和解することは、古代から政治の達人である中国にしてみれば、決して難しくないと思います。   

それから、私たちは日本国の政府に対しても、チベットの問題を解決するために積極的に動いてくださいますようにお願いいたします。日本は古代から中国と深い関係を築いてきました。また遠いチベットとも、仏教というご縁で友好関係が結ばれてきました。日本は双方の立場を理解した上で、中立的に、純粋に相手を心配する気持ちで、チベットの問題を解決できるはずです。中国政府とダライラマ法王側の代表者を日本に招いて、和解のための対話の場をもうけるよう努力していただきたいのです。

中国の人々から、「チベットは中国の内政問題だ」という反発が起きていることも知っています。しかし、仏教はすべての人類に向けて説かれた教えです。この世界で仏教徒は少数派ですが、ブッダの道を歩む人々はお互いに心配しあわなければいけません。私たち仏教徒がチベットの人々の苦しみに無関心だとしたら、いったい誰が彼らに手を差し伸べればいいのでしょうか。

しかし、チベットの平和と自由を訴えることは、決して「反中国」活動になってはならないと思います。チベットの苦しみにほんとうに共感するのであれば、中国の人々を含めた、人類全体の幸福を願う、慈しみに徹した行動をするように気をつけなければいけないでしょう。

「私の心は決して動揺しないのだ。また悪しき言葉を私は発さないのだ。また心やさしい者として、慈しみの心の者として、怒りのない者として、私は生きるのだ」(パーリ中部二十一『鋸経』より)

私たち仏教徒のみならず、チベットに心を寄せるすべての人々が、慈しみの心を絶やすことなく、「一切衆生の幸福」という広い視野で考え、話し、行動していくことです。すなわちダライラマ法王が説かれるように、非暴力という「中道」を実践し続けることです。それが問題解決への唯一の道であると、私たちも確信しています。それがブッダの説かれた道だからです。

歩み寄りと和解によって、チベットに平和と自由がもたらされますように。 
生きとし生けるものが幸せでありますように。 

佛紀二五五一年(平成二十年)四月十四日 
宗教法人 日本テーラワーダ仏教協会
会長 小西淳一 
事務局長 佐藤哲朗

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コメント(16)

■署名して世界に意志表示■(ドイツの有志が立ち上げました)
2008 For The People Of TIBET
http://www.for-the-people-of-tibet.net/
(ページを開くと音楽が流れ、しばらくすると下の方に記入欄が出てきます)

「世界の人々は彼等の宗教・国そして己々の人生を略奪された時、その事実に目を逸らすべきではありません。チベットの潔白・弾圧されている人々の為に・その名にかけて、私達は此処に署名いたします。」…という内容です。

サイトについての詳しい情報は画面下の表示タグよりアクセスして下さい。
※サイトの信憑性については自己判断でお願いします。過去の投稿から名前はHNでもよいようです。

★自由にコピペして下さい
現時点で世界各国より一万五千人以上の署名が寄せられています。是非【JAPAN】からも宜しく!

日本テーラワーダ仏教協会の声明を全面的に支持します。仏教者にふさわしい、熟慮されたメッセージだと思います。

中国の人々が

自分の欲得のために、他者を犠牲にする

という生き方が、ほんとうにそれでいいのか、を見直して心から反省するときが はやくきますように。

それが自分と他者の幸せへの道ですから。

生きとし生けるものが幸せでありますように。 合掌。

仏教者として、人間として、日本テーラワーダ仏教協会の声明に賛同いたします。今、わが国ではチベットでの弾圧が聖火リレー騒動に矮小化されようとしています。まったく嘆かわしいことです。しかしながら、善光寺が今のところ拒否していないのには断固として抗議したいと思います。このままでは世界中の仏教者から日本の仏教界は軽蔑されてしまいます。

この声明に心から賛同いたします。

また、他の日本仏教の多くの宗派が、今回の件にどのように対応するのか、多くの日本国民は静かに注視しており、呆れられるのか、見直されるのか、大事な局面かと思います。

テーラワーダとは異なる立場であるといえども、それぞれの宗派の高祖であればどのようにするかを考えたとき、とるべき進路は大同小異ではないでしょうか。

感動しました。心から非暴力による平和へ向けて、対話が再開されるように祈りたいと思います。生きとし生けるものが幸せでありますように。この問題について発言された勇気にも敬服いたします。

中国批判は聞き飽きました。
日本の皆さんは、マスコミに流され過ぎです。
善光寺の聖火の拒否とかは、まったく無駄な事。
聖火ぐらい、許可してあげましょう。

中国ばかりでなく、世界中に、このような問題が多々あります。
中国だけ批判するのは、おかしい。
中国国内には、多くの民族が住んでおり、民族間の隔たりは、あまり、ありません。
漢族より少数民族の方が法律や税金的に優遇されています。


聖火を拒否するような、くだらない事は、止めて下さい。
日中の問題が、また増えるだけです。

 うめざわと申します。協会から公的に反応が出るのを、いまかいまかと待っておりました。仏教徒として、うれしく思います。

 ひとつ疑問なのですが、今回の声明は在家者の連名で出されてますよね? こうした政治的な声明というのは(特に上座部および原始仏教においては)在家のみが関わり、出家された比丘方は関わらないものなのでしょうか?
 ミャンマー暴動の際も「比丘がデモに参加するなんてとんでもない。やりたいなら還俗してからにすべきだ。デモに参加する比丘は比丘にあらず。破戒行為であり、そういう比丘は偽者である」という話をどこかで見かけた記憶がありますので、出家者たる比丘がどういうスタンスでチベット問題に関わり得るのかが気になっております。
 日本の大乗仏教の場合、僧侶自らTVでコメントを発表したりしてました。
 バンコクでの聖火リレーも、市民は反対の声を上げたりしていましたが、その中に比丘のお姿は見られませんでしたので。

 やはり在家はともかく、出家された比丘方は基本的にノータッチ(行動のみならず発言においても)ということになるのでしょうか? 

 また、よろしければ在家者としてはどう関わるのが上座部仏教的に適切なのか、ご教示願いたく思います。慈悲の瞑想をするだけでよいのか、それこそ長野まで行って声を上げるべきなのか……。

政治的な問題に関して
宗教信仰者は祈りや瞑想だけしていればよいのか?
二者択一で答えればNO!です。

ミャンマーの軍政は高僧方が僧院で瞑想だけしていて解決されたのでしょうか。みんなが瞑想していれば、そのうち独裁者がある日突然慈悲心を起こして権力の座から退いてくれるのでしょうか。そうなれば一滴も血が流れず一番平和的でいいんですが、そこまで信じて祈りますか。

ガンジーの非暴力独立運動は、彼が深い宗教信仰を持ちながら、自宅やヒンズー寺院から街頭に飛び出したことから始まりました。この世の物質世界を変えるには、やはり最後には何か肉体で行動を起こさなければ変えることができない。世俗的抗議行動は下賎で忌むべきものと言う考え方をすると何もできなくなっちゃいますよ。

うめざわさん

日本テーラワーダ仏教協会は出家サンガの助言と指導を受けますが、役員その他は在家(大乗のお坊さんがいたとしても、戒律上は在家)で運営しています。ですので、声明を出す場合も在家の代表名義になります。

出家サンガとしてはどうなんでしょうか?一時出家したことのある立場で推測すれば、基本的に個人個人の判断になるのではないでしょうか。出家らしく上品に、と心がけても、世俗的なことに関わるのですから、あとで三宝に懺悔することにはなるでしょう。

宗教者は世俗的なことに関わるな、ということよりは、「世俗的なことに関わることを正当化するな」という姿勢が大切だと思います。自分が過ちを犯したとしても、自分の失敗を正当化するために教えまで汚してはいけない、ということです。

情勢が完全にクリアになっていない段階で政治的な発言・行動をする場合は、当然リスクが伴います。よかれと思ってした行動が、思わぬ反作用をもたらすこともあるでしょう。

例:チベット仏教徒を支援する運動が、中国人への民族的憎悪を煽る輩に利用されるとか。

実際にそういう傾向も散見されます。協会の声明にしても、「仏教徒が、仏教的にこの問題に関わることで、そのような堕落を食い止めて欲しい」という願いも込められています。

問題は、木村泰賢(稀代の仏教学者)が80年以上前に指摘した、

「…総じて仏教運動に欠けている大事な要素がある。即ちそれは思想的立脚地の確定し居らぬことである。換言すれば仏教運動と称しながら実は仏教思想をいかように体系づけ、之をいかように現代的に実現するかの根本方策を欠いて、ただ漫然と仏教主義とか仏陀の精神に基づいてとかいうが如き表幟を以てすることである。」(『祖国 PATRIA ET SCIENTIA』創刊號 學苑社 S3.10.1)

という仏教者の社会運動の問題点が、果たして克服されているか、ということです。これはかなり怪しい。チベット問題への対応はその試金石になるのではないかと、自分も渦中に居ながら思っている次第です。

>naagitaさん
 ご回答ありがとうございます。なるほど、なかなか難しいですね。それだけこの問題が深刻である証でもあるのかもしれませんが。

>世俗的なことに関わるのですから、あとで三宝に懺悔することにはなるでしょう。

 これはどういうことなのでしょう? その後段

>自分が過ちを犯したとしても、自分の失敗を正当化するために教えまで汚してはいけない、ということです。

 から考えると、「今だ阿羅漢とならぬ身で世俗のことに関われば、必ずや何かしらミスをすることになる。そしてそのミスは、おそらく戒律に抵触する可能性が高い。そのミスを教えのせいにしないことは当然のことながら、戒律違反を犯すがゆえにそれ自体を三宝に懺悔することになる」ということでしょうか?
 つまり、戒律を侵さないことを重要視するなら関わら無いほうがよいし、たとえ侵すことになっても行動すべきと考えるなら関わってもよい。それは個人の自由である、と。

 自灯明法灯明(直感?)に従うか、あくまでも戒を重視するかの板ばさみということになりそうですね。

>という仏教者の社会運動の問題点が、果たして克服されているか、ということです。これはかなり怪しい。チベット問題への対応はその試金石になるのではないかと、自分も渦中に居ながら思っている次第です。

 自分もそう思います。なにかに試されている感じさえしますね。

縁、ならば、関係するよりほかに成長の道はあるのでしょうか。縁ならば。

問題の早期解決を祈ります。
全てはここですね。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
当事者同士、悩み苦しみがなくなりますように。

宗教や対話ではチベットは救えません。
これで救えるなら50年も虐殺や弾圧が続き、120万人もの人が殺されたりはしない。
共産主義者は徹底した物質主義・現実主義であり、宗教的な道徳を生まれた時から知りません。
だから彼らは武力を使うのです。野蛮人なのです。

武力には武力しか無い。
チベットを救うには戦争しかありません。
しかし。問題は中国を武力攻撃すると、ヤケになった中共が核ミサイルを使う可能性がある事です。
だからどの軍事大国もチベット解放戦争をやってあげる事が、今はできない。

チベット開放戦争ねえ
イラク人を何十万人も殺した野蛮な国と一緒に資源の取り合いでもするんですか?
中共が核ミサイル?それを使ったら中国が滅びますねやらないでしょ
そもそも中国と某軍事大国の背後にいる黒幕さんが同じで、中国との冷戦構造を画策してるんだから直ぐに手出しはしないでしょうが

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このページは、naagitaが2008年4月14日 14:38に書いたブログ記事です。

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