ヴィパッサナー瞑想で進歩するということ

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Sumanasara1 スマナサーラ長老の「上座仏教教室」(2008年1月24日ゴータミー精舎)質疑応答より。

Q 八ヶ月も冥想続けて、何の体験もない。同じところをグルグル回っている感じがします。本を読んだりすると、冥想していろいろ体験を得る人もいるみたいですけど……

  

A (冥想をして何かの現象、神秘体験を求める人は、)残念ながら、冥想で成功しない道を選んでいるようです。ブッダの道からかなりずれています。これって困ったもので、人が真面目に冥想しようとすると、誰かが横から口を挟んで、道を壊してしまうのです。なんて慈悲がないことかと思います。自分に(冥想を成功)出来なくたっても、(冥想を)やる人にはやらせておくべきでしょうし。

 だから、そういう妄想概念を目指して冥想しても、それは冥想ではないんです。「妄想をやめるために冥想する」んです。どうしてそんな無責任なことを書いてある本を読むんでしょうか? なんでそういう無責任な人の話を聞くんでしょうか? これはブッダの道じゃないんですよ。
 これはすごいぞ、あれができるぞ、と餌を出して人を引き寄せるのはブッダの道ではないんです。神秘体験があるんだ、俺もやるぞ、というのは、餌に引っかかっているだけでしょうに。それは歩む道が違います。

 ブッダが仰ったのは、苦しみを無くせ、妄想をなくしてみなさい、ということです。
 毎日、日々あるいろいろな不安、退屈、将来への不安、妄想によってあらゆるトラブルが出てきて、いてもたってもいられない。苦の現実がある。その苦の現実をなくしなさいと言っているのです。
 皆さんがやっているのは、その反対です。なになにさんのように神秘体験がないんだと。ブッダとは、まったく世界がちがいます。いったん心がそういう方向に行くと雪山から滑落するように、落ちてしまします。私は雪山を慎重に気をつけて登る方法を教えているのですから。でも、本人が滑落したって、私は手を出さないんですよ。
 妄想概念を目指して冥想すると、一箇所で回転するしかないんです。妄想は頭の中で生れたものだから、それを目指したら同じ場所にずうっといることになるんです。だから、(その妄想を)なんとかしてください。自分のいまにあるあらゆる短所や弱点が、冥想していると見えるはずなんです。冥想してみると、自分って情けないな、だらしない人間だな、と感じるはずなんです。「おれってすごいや」と思ったら、もう話にならない。我ながら大物だと。それは瞑想してないんです。ふつうは、情けないや、自分でしっかりしていたのになんだこれはと、短所ばかり見えてきます。
 そこで、これだけは何とかしますよと。20分で腰を上げるのはなさけないから30分は頑張るぞとか、妄想ばかりで情けないから妄想を止めてやるぞとか、そうすると成長するんです。
 いつでも現実的にならないといけません。いつでも皆さんに、「能力がない」と厳しく言っているのはそういうわけです。能力がない人が、ちょっと心が変わるとどうなるかわからない。もっとしっかりしないと。いろいろ体験は期待するのですが、それも冥想の世界を知らないから言っているのです。わたしは全部、心理学的な説明をしているはずです。
 神秘体験の本物とニセモノを区別する方法も、たまたま言いますけど、そういうちょこっとしたことを目指していると、些細なことで舞い上がってどうなるかわからない。
 冥想しても「何もない」というのは、ある意味、仏法僧に守られていることです。
 何もないんだ、グルグル妄想しているだけだと。それで守られているんです。
 ホントはその調子で続けて、悟りに達したとしても、「やっぱり何もないんだ」と言うんですよ
 だからさっきも言ったんです(アチャン・チャーについて)。「真理に達した人に聞いたって何も答えが出てこないんだよ」と。
 最近なくなられた曹洞宗の禅師様(宮崎奕保師)の説法など聞いてみたら。すごい人なんですよ。でも、ただのじじいでしょ、しゃべっている内容は。でもそうじゃないんです。とてつもない世界のことを何のことなく言っています。だから、そのまま行きます。大丈夫です、何にもなくても進むんです。何も目指さない限りは。何かを目指しちゃうと頭がおかしくなる危険性があります。
 何もなくてもいいんです、修行しているのだから。それを自慢にしてはどうでしょうか? 「あんた方はいろいろご褒美あるんだから修行しているけど、私は何もないんだよ」と。「それでも私は修行しているんだよ。私の方がかっこいいんだ」と。

Q でも、八ヶ月もやって智慧のかけらも授からないと……

A あなた、智慧って何か知っていますか?

Q 無知はイヤですから……

A では、無知って何かと知っていますかね? あなたは以前とまるっきり同じでしょうか? 嫌なことがあるとすぐに感情的になってますか?

Q 我慢できます。

A 世の中にいろんなことがあると、いてもたってもいられなくなる?

Q いいえ。

A 個人的なことは言いたくないけど、いろいろ以前からトラブルとかあって、それはずーっとそのまんまでしょ? でも、自分が落ち着いているでしょ? そこなんです、成長しているというのは、冥想して。
 自分でショックに感じないというのは、本物だからなんです。ほんとに成長したら、なんの不思議もないんです。たとえば種をもってきて私の手のひらにおいて、ちょっと水一滴かけてパッと花が咲いて実がなったらマジックかインチキでしょう? 種を植えて、毎日、水をまいて、ゆっくり芽が出て成長して……春先に花が咲いた。これは不思議じゃないでしょ?
 でも、それがほんものの成長なんです。不思議じゃないんです、刺激じゃないんです。
 俗人たちは刺激が欲しいと、摩訶不思議な何かが欲しいと思っている。それって、無明の中の無明なんです。無明の穴のどん底でもがいて、さらに穴に落ちるだけなんです、そういう人々は。
 成長というのはあくまで自然。だから堕落しないんです。
 自然の成長だから。落ちないんです。
 足が弱い人が、誰かに助けてもらって立って、支えてもらって歩いても本物ではない。(リハビリして)足が強くなってきたら、ちょこちょこと自分で立ってみて、いつのまにかじわじわと良くなって、一人で立つんです。それで、今は歩けるんだと。何の不思議でもない(だから、本物です)。
 ヴィパッサナー冥想の成長というのは、残念ながら本物ですから。あまり刺激的じゃないんです。言葉で訊いたらべつにどうってことないんです。悟りに達しても、別になんでもない。自慢するほどなんでもないんだと言う。では貴方の煩悩はどうなんでしょうかと。自然なんです。
 何もなかったんだ。でもいま、煩悩だけはないんだ、と。以前は滅茶苦茶怒ったものだけど、そういえば今はなかなか怒らないんだ、と。なんで怒らないのかといえば、それには答えがあります。
だから、しっかり頑張ってください。
 ふつうの人生はいい加減中途半端でいいんです。実際、冥想に入ったとたん、その時間だけ、ものすごく真剣にやったほうがいいんです、たとえ15分でもその時間は鬼になってやることです。あとはだらしなくてもかまいません。冥想への気合だけ薄くならないように。
 何々さんにあった神秘体験がわたしにあったからって、私が褒めるとは限りませんよ。
 ほんとに起る経験はあります。それはおおやけでは言わないことなんです。
 だから、あの本にあるとか、この本にあるとか、そんな話はあまり相手にしないほうがいいんです。

(法話メモ:佐藤哲朗)

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

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このページは、naagitaが2008年1月30日 01:48に書いたブログ記事です。

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