悟りと性格

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「悟りと性格」(28分23秒)をダウンロード

撮影:出村佳子

今週のDhammacastは、性格分析の仏教的活用法の第2弾。仏教では性格を「煩悩(心の汚れ)と捉えます。自分の性格をうまく利用して、汚れのない無色透明のこころを育てる秘訣とは?(2008年1月6日ゴータミー精舎で収録)

「……悟りに達した人は誰とも群れません。四段階で悟りに達する。我がつぶれること、無明がつぶれて智慧が現れるのは四段階。それまではうすうすと「自分」という感覚がある。自我が完全になくなれば、群がることもなくなるのです。

 悟りに達してもふつうに人々と話して生活します。それで差が出てくるが、些細なことにすぎないのです。肉体によって住める環境も住めない環境もある。それが性格というわけではない。

 悟った人の場合、仏教では、お釈迦さまの教えを聞いて阿羅漢に達してた聖者でも、煩悩も自我も消えてなお、いままでのクセが残ると言っています。この微妙なクセが、我々からは性格として見えてしまう。もともとそば好きの人が、クセでそばを食べ続けても問題ない。クセというのはそれが社会に迷惑かどうかで考えればいい。何でも勝手に判断してあれ直せ、これ直せということない。違うところは有効に使うことにしておけば。

 たとえば夜起きているクセが付いている。だからって困る必要ない。夜の仕事を選べば楽でしょう。その人のいる国で、夜仕事がない場合は問題。それだったら、夜寝るように苦労して自分の性格、クセを直す必要がでてくるのです。断言的にはいえません。

撮影:出村佳子  アーナンダ尊者の素晴らしい説法を紹介します。

 アーナンダ尊者はすごい記憶力の方でした。お釈迦さまの言葉を完璧に覚えているので、あちこちで説法を頼まれました。彼は、美しい言葉で見事にお釈迦様の言葉を伝えるのです。身体を見てもたいへんな美男でした。そこで問題が起るんですね。ある尼さんが、恋に落ちてしまったのです。出家だから、それはダメです。でもどうしようもなくて、彼女は仮病になった。「病気だからアーナンダ尊者の説法を聞きたい」と頼まれた尊者は、彼女の部屋に見舞いに行きました。彼女は頭から布団をかぶって寝ている。アーナンダ尊者は彼女が何の病気かわかったのです。尊者はなんのことなく、「妹さん、これから説法しますからそのまま聞いてください」と。彼女も尊者がすぐ近くに居るから気分よく、ジーッと寝ていたのです。
 お釈迦さまはこう仰っています。煩悩というのは見方があるのです。たとえば強烈なプライドのある人がいる。そのプライドは放っておきましょう。わざわざプライドを壊すために何かするのではなくて、傲慢でプライドがあるなら、上手く使いましょう。プライドの病気で悩んでいる仏弟子はこう思うのいです。こちらのお坊さんは出家して、一ヶ月間で悟りに達した。あのお坊さんも、私と一緒に出家したお坊さんも、私の後で出家したお坊さんも、みな悟りに達している。恥ずかしい。よし、今日のうちにでも悟ってやろうではないか、と。そうやってプライドを使ってください。
 怒りの強い人がいる。何があっても怒る性格です。それでかまいません。とことん怒って、自分の情けなさに、自分のだらしなさに、自分の未熟さに怒りなさい。こんな煩悩だらけで未熟で、とんでもないと。それで自分の煩悩に対してとことん怒って、煩悩のない人間になったらいかがでしょう、と。
 そうやって順番で説かれたのです。これは性格を上手く使う方法です。性格を直そうとするのではなく、自分の性格をもって、とことん成功する道です。成功したところで、元の性格がぜんぶつぶれてしまう。プライドも怒りも消えている。しかし、妹さん、性欲だけはその場で絶つものである、とお釈迦さまは仰っています。性欲は、その場で人の人格を凡て燃やしてしまう恐ろしいものであると。アーナンダ尊者は、説法ですから本来の順番を変えて、最後のその項目を入れて、性欲だけは最初から根こそぎ捨てるものであると強調したのです。性欲だけは、人格向上のためにどうにか使うということはできません。
 この話を聞いていた尼さんは、やっぱりそうだ、と思うしかない。それで、頭おかしくなる恋の病気は治ってしまった。
 アーナンダ尊者が語ったけれど、これはブッダの教えです。
 チベット仏教やらで間違って使っています。性欲も素晴らしいことであると言ったりして。でも、冗談ではないのです。性欲に支配されると、人間の品格がなくなって、頭のレベルが下がるのです。
 それはおいておいて、

 完全な悟りに達するまでは個人差があります。個人差、性格、いろいろです。九つに分けるどころではない。個人差といえば、これはずうっとあります。はっきり言えば個人差も性格の一部です。個人差を消すこと出来ません。しかし個人差ですが、すごく怒りっぽいなら、ちょっと考えるべき性格になる、ものすごく欲張りだったら、その人の性格でもそこまで許すのかと。たとえば「青い服が好き」というのも性格でしょう、それを直す必要ある? ないんです。本人がそれで大変な問題を起してしまうなら、直すということで。

 個人差もあれば、性格もある。仏教は煩悩という心の汚れという言葉で、性格分析をするのです。こころの汚れの分析なのです。その場合、当然それは直して、汚れのない無色透明の性格にする。

 ご自身が無色透明だったからこそ、お釈迦さまには説法ができたのです。この頭の悪い迷信だらけの人間に、誰も発見していない超越した真理をよく語ったのですから。……」(法話メモ:佐藤哲朗)

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

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このページは、naagitaが2008年1月17日 00:30に書いたブログ記事です。

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