仙台講演会 怒らないこと

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12月24日に仙台でA.スマナサーラ長老講演会「怒らないこと Don't Get Angry」(仙台市情報・産業プラザ)が開催されました。以下、当日の法話メモです。

071224101213 怒るしかない世の中で、怒らないでいることはすごいことです。
料理は準備が大変ですが、あっという間に食べ終えて、片づけにまた時間がかかる。そういう人生で、怒って嫌な気分になるのは当然です。面白くない、退屈というのも怒りです。条件が好ましくない、ということが怒り。条件がそろっていると怒らないのです。愉しいのです。カンカンに怒ることだけが怒りではなくて、嫌な気分、退屈、あー嫌だというのも怒りです。だから、人間は一日じゅう怒ってるのです。

当たり前のことをしたからって誉められないでしょう? 怒ることは犬猫でもアリンコでも出来ます。あまりかっこよくないんです。ちょっとでも怒らないで居るとかっこいいんです。怒る場面で怒らないことはすごい人格者です。人間のレベルを超えています。

日本では、みんなずいぶん真剣にクリスマスやっています。私から見ると気持ち悪いんですね。クリスマスツリーの由来を知っていますか? あれは生け贄の木です。だから、いっそ家にいる犬猫の首を絞めて吊しておいて下さい。そうするのが一番正しいんです。

神は恵みを与えてくれると思っていますが、旧約聖書の神は自称「嫉妬の神」です。神が通るところ疫病、災害、戦争、人殺しばかり。ずっと怒り憎しみでいるのです。だから神に祈れば祈るほど不幸になります。神を信じる人々は、不幸から立ち直って神に感謝する。じゃあ不幸にしたのはだれ? まれにしかない幸福だけは神のせいにする。それっておかしいでしょう。

「怒らないこと」は神に勝ることです。仏教には親分の神はいませんが、神々が喜んでやってきて、怒らない人を守ってくれるんです。怒らないことは神に勝る行為なのです。だから、「怒らないこと」は楽じゃないんです。楽じゃないことをすることが、神に勝る仕事なんです。

なぜ赤ちゃんが泣くのでしょうか。期待はずれるんだからです。赤ちゃんは痛み感じたくない。でも痛みを感じる。悲しいんです。悲しみは怒りです。嫌なことがあって悲しいんだから。なってほしくないことが起こったんだから。

以上のポイントをよく覚えておいて下さい。でないと「怒り」を克服できません。

祈ったってダメですから。
神に祈って救われたい人をからかっています。神に祈る人について、「川の向こう岸に渡りたいとき、向こう岸よ、来たりて我を運びたまえと祈るようなものだ」とお釈迦様がからかっています。理性がある人は、工夫して、自分で川を渡るんです。「神様、私が悪いことを出来ないようにしてください」とか祈ったりして。(事実は、自分で悪いことをしないように戒めなければいけないんです。)

怒ることはミミズにもできます。いつでもできます。だから、「怒らないこと」には24時間チャンスがあります。

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ポイントはこういうことです。期待があったんですね。赤ちゃんはずっとおなかに居たかったんです。その期待が外れたんです。生まれることは自分の家を差し押さえされて追い出されることです。期待はずれは死ぬ瞬間まであります。死ぬこと、老いること、病気になること、誰も期待していないこと。すべて期待はずれなんです。「あ、期待して居たことがはずれたんだ」と理解すること。

もうひとつのポイントは、「期待したことがかなうものか」ということです。期待することが屁理屈です。先のことは解らないのに、期待だけあるのはおかしい。結婚に期待しても、相手のこと何も知らないのに期待を設定できない。夫とはかくあるべき、妻とはかくあるべき、先生とは……、生徒とは……、と知りもしないで勝手に期待する。期待は論理的ではないのです。田圃をつくれば実ること期待する。でも、一寸先も解らないことが事実です。一寸先も解らないのに、ずーっと期待する。死んだ後景色のいいところの墓に入りたいと。富士山の周りが墓だらけになっている。そのくらい我々の期待はねじまがってるのです。

我々の生活は期待でなり立っています。期待がないと身体が動かないんです。期待が外れるにきまっています。外れると怒るんです。炊飯器をセットしても、停電、故障するかもしれない。日本で炊飯器が壊れたら大騒ぎになるかもしれません。

我々は期待なく動けません。しかし、期待は屁理屈なんです。成り立たないから外れる。年とらないことは成り立たない。

だったら、期待はあまり論理的ではないと知っておけばどうでしょうか?
ここまでは微妙な気持ちのレベルのはなしです。

ところで、

怒る場合は10種類あるとお釈迦さま仰っています。

誰かが、

  1. 過去に私に嫌なことをしたと怒る。
  2. いま、私に悪いことしたと怒る。
  3. 将来的に私に嫌なことをするかもと考えて怒る。
  4. 過去、私の親しい人に嫌なことをしたと怒る。
  5. 現在、私の親しい人に嫌なことをしたと怒る。
  6. 将来、私の親しい人に嫌なことをするかもと考えて怒る。
  7. 過去、私の敵の仲間だったと怒る。
  8. 現在、私の敵の仲間だと怒る。
  9. 将来、、私の敵の仲間になるかもと考えて怒る。
  10. わけもなく怒る……こともある。

そんなものです。怒らないようにしないといけません。
怒ることは、生命の本来の姿です。なぜ怒ってはいけないのでしょうか。みな怒るために生まれている。生まれた瞬間から怒っている。その本性にさからってまで、なぜ?

怒ることはすごい毒なんです。細胞一個一個を管理しているのは心です。怒った瞬間、からだじゅうに毒が回るんです。怒れば毒がいくらでも生まれます。

本来、欲や怒りが生まれない環境で人間が生まれると、万年単位で寿命が延びると仏典でも言われています。

いまの身体でも500年はもつはずです。しかし生まれたときから毒が溜まっているから、短命になるのです。長命の人を観察してみてください。そういう人は怒らないでニコニコしている。我々より怒る割合が低かったから健康で長生き。死ぬときもポックリ。だからです、怒ってはいけない。病気になりたければ、かんかん怒って下さい。選ぶのは皆さんです。

怒ることが毒なんです。怒って生きていても人生面白くないんです。寝る暇もなく苦労して生きていて、それで給料ももらえず、損害を弁償するようなもの。怒りは損だけです。人生は苦しいことは避けられません。でも毎日愉しく生きないと。金払って楽しみを買うのは失敗者です。儲かるのは明るい人、金がたまるのも明るい人です。

怒ると人生失敗します。人生失敗したいなら怒ることです。人生成功したいならば難しい「怒らないこと」をめざすことです。怒っても成功できますが、すごく苦労します。新幹線があるのに、仙台からわざわざ歩いて東京に行くようなことです。

怒らないと成功するのは簡単です。怒って成功するためには、ものすごく苦労します。それでも自分を誉められるレベルにいかない。やっと終わったという感じだけです。

いとも簡単にうまくいったら、自分を誉められます。

怒りでライバルを作って、敵に勝って成功しても、確実に敵を増やしてしまう。ライバルじゃなくて仲間にすれば楽にいく。怒る人が成功すると無数に敵が現れます。戦って取ったものはまた挑戦者にさらされるのです。怒らないで成功を得た人は、誰にも挑戦されないのです。

怒る人は頭悪いんです。バカが怒るんです。自我の塊だから(無我でないと智慧が開発しない)。怒るクセがつくと頭よくなりません。

怒る人は勉強しない。瞑想できない。怒る人は餓鬼道に墜ちる。日本はなぜこんなに幽霊が多いのでしょうか?

なぜ世界が生きづらいかといえば、怒りの結果でしょう。資源が消えている。半分以上の人に食べ物もない。怒り憎しみで無駄にしている。苦労して何年もかけて町をつくっても、爆弾落として10分で壊れてしまう。

われわれは95パーセント以上、資源を破壊に使っている。怒りさえなければ、ものすごく気楽で豊かな世界が瞬時に現れます。セコムは倒産するかもしれませんが。

怒らないためのポイントは、ひとつだけです。

気にしない。

それでおわり。

気にしないで、やるべきことはやる。

自分は神様じゃないんだからゴチャゴチャいう権利ない。
気にしないということで、怒らないでいられます。頑張ってみて下さい。

(文責:佐藤哲朗)

~生きとしけるものが幸せでありますように~

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ちょうど、今、職場の嫌な奴のことで怒って、病気になってます。読めてよかったです。

子供が生まれてから11年間、毎日、ずっと怒って暮らしてきました。朝、子供を起こすときから勉強の時間、食事の時間、お風呂の時間・・・すべてについて、「怒って」生きてきました。私のあまりの怒っている様子に、周りの人たちから、あなたは言葉遣いが悪い、乱暴だといわれて、それにも怒っていました。それでも、子供にしつけをしなければいけないから、この子を叱って良い方向に導かなければならないから、その責任は世界で私だけにあるのだと信じて、朝から晩まで怒っていました。悪いことをしたら怒らなければならない、そう勘違いしていたことに「怒らないこと」を読ませていただいてやっと気がつきました。子供の日々の行いや生活習慣などについて、親の責任として「教える」ことは、決して、頑張って朝から晩まで怒ることではないと分かりました。これからはもう、怒りません。何があっても怒らない、そう決心して生きていこうと、心から思いました。ありがとうございました。

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このページは、naagitaが2007年12月26日 01:15に書いたブログ記事です。

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