[Dhammacast]パパンチャを破る-禅の物語『無門関』にちなんで

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「パパンチャを破る-禅の物語『無門関』にちなんで」(24分41秒)をダウンロード

Dsc_0064_1アルボムッレ・スマナサーラ長老の法話ポッドキャストです。

●無明(avijjaa)とは、データ捏造機能“パパンチャ(papaJca)”です。
●パパンチャは存在を正当化し、永遠の天国を説く宗教までつくる。
●無明でない生命はいない。生命であることが無明です。
●無明の正当化が悟りを妨げる。
●無明を破るための助けとして語っているのが「無価値論」です。

『無門関』第38則「牛過窓櫺」、六祖慧能の継法、道元禅師の「心身脱落」といった禅のエピソードを引いて、パパンチャを破った先人たちの境地を語る異色の法話。

7月12日千駄ヶ谷区民会館「上座仏教教室」での質疑応答より。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

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コメント(2)

 初めて投稿します。

 スマナサーラ長老の御法話を、
 楽しく聞いております。

 聞いていると嬉しくなります。
 
 さて、

 禅のエピソードをお聞きして、
 私なりに感じたことを投稿します。

 『牛の”しっぽ”』とは、
 ”悟った自分”が残っているぞ、
 ということでしょうか・・・

 『脱落脱落』とは、

 脱落したことも脱落して無色透明、
 自然(大慈悲)のままであること。
 と、いうことでしょうか・・・

 私の体験から、二つのお話は、
 同じ事のように感じられました。

 ありがとうございます。

 私の思いは私だけのもの?

 一般の人々は公案を聞いた瞬間に、
 『なぜ?』と疑問が生じます
 それが長年の習慣なのです

 だから、公案を聞いた人々は
 おもしろいほど引っ掛かります

 『しっぽだけ、なぜ?』

 と疑問が生じた瞬間に、
 無明に落ちたのですね

『しまった!』

 一瞬、私も落ちました。

 だから、

  尻尾について・・・
  脱落脱落について・・・

 恥ずかしい解釈を投稿しました。

 『なぜ?』

 この一瞬の心の【癖】を自覚すること”

 このことが、

 ”ババンチャを破る”方法であると、

 長老が説かれているのだ。

 と理解して良いのでしょうか?

 手品の種は”ばれてしまった”と、

 お釈迦様が言われたことだと、

 理解してももよろしいのでしょうか?

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このページは、naagitaが2007年7月21日 05:07に書いたブログ記事です。

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