2007年4月アーカイブ

スマナサーラ長老 撮影:相田晴美 行楽日和を絵に描いたようなうららかな陽気のもと、ゴータミー精舎ではスマナサーラ長老指導のヴィパッサナー冥想会。毎度の事ながら本堂にはたくさんの善男善女が詰め掛けて、初心者指導を受ける方も30名以上に上った。以下、質疑応答の時間のスマナサーラ中老のご法話メモより。

仏教では「生きることは苦である」と言っています。それと、私たちが考えている世界は同じではないんです。私たちも時々「生きることはたいへんだ」と言ったりしますが、ブッダの言葉は超越した智慧によるもので、真理なのです。それが解るとたちまち悟りに達する言葉です。「生きることは苦である」と解ったら悟りに達するのです。それには、生きることが全体的に、どこに生きていても、生きることは苦であると発見しなくてはいけないのです。地獄に行っても、極楽に行っても、生きるならば苦である、存在が苦であると知ったならば、悟りに達します。

みなさん、仏教に出会って一生懸命修行しています。「生きることは苦しいんだよ」という気持ちで来ています。しかし、そこで、ややこしいことがあるんですね。人間には、感情というものがあるんです。感情で「苦」と言っても、何の意味もありません。感情的に言うことは事実ではない。いいかげんです。感情的になったら、自分の子供にもいろいろひどいことを言うでしょう。でも、ほんとはそう思っていない。友達同士で、「お前なんか死んでしまえ」と言っても、ほんとにはそう思っていない。感情的な気持ちは事実ではないのです。子供たちが「お母さん大嫌い」と言ったりするが、それは感情まかせの言葉です。ほんの二、三分でまた来てべったり甘えるんだから、子供は。感情的に「生きることは苦である」といっても、何もわかっていないんです。

では、自分が感情的に「生きることは苦である」と思って仏教に来たのか、理性的に「生きることは苦である」と理解しようとしているのか、その区別方法はあるんでしょうか?

ひとつあります。人間は豊かになって、幸福に、幸せに、成功者になって、勝利者になって、この世で生きていようではないかと頑張っています。若いころも明るい設計図を頭に描いて生きてます。でも、何一つもうまくいかないんです。
私立の中学校に苦労して入って、意気込んだがいざ行ってみると叱られたり苛められたりで嫌なことばかり。ろくに勉強もできなくなる。立派な学校に入ったのに、自分は勉強できなくなった。大学で理工学部に入ろうと夢見ていたのに、このままじゃ高校卒業もできない。何もかも嫌になって、「生きることには何の意味も無い、苦しいんだ」と思う。それで、そういう人々はたいてい自殺するんです。

そんなふうに、命捨てるまで「生きるのは嫌だ」と思っても、それが智慧なのでしょうか? 違いますね。ただ失敗しただけです。成功して生きていたならば、その気持ちは無かったんです。俗世間で成功したい気持ちがあるけど、上手く行かない時にでてくる反応的な気持ちも感情なんです。

誰かに裏切られて、「人間と言うのは信用できない」という考え方に執着して、誰も信頼しないで生活する人がいる。ブッダも同じことを言っていますよ、「人間は信頼できませんよ」と。では、その人はブッダの智慧に達しているんでしょうか? 違います。ただちょっとしたことで感情をひきおこして、精神的におかしくなっているだけです。智慧で発見したわけではないんです。

自分の希望が叶ったらよかったのに、叶わなかったから「生きることは苦だ」と決めた、という場合は明らかに感情です。生きることは苦しい、ホームレス、サラリーマン、家の奥さん、幼稚園の子供、国会議員、皇室の方々も、、アメリカの大統領でも、生きることが苦しいんだと。天皇陛下でもイギリスの女王陛下でも、生きることは苦しいんだと。ノーベル賞とっても、オリンピックで金メダルとっても苦しいんだと。それはこういうことじゃないか、という理解があるなら立派です。その人には感情があるわけではないし、成功しようと、やってみてできないわけでもない。そういう理解であれば問題ないんです。そういう人は、ブッダの言葉をすぐ理解します。

でも、精神的な病気で腹が立っているならば、まずその病気を治さないといけない。精神的に病気では(悟りをひらくための)冥想はできません。ブッダの教えは知識人、精神的に健康体の人が実践するものです。

世の中では、お母さんのことが「大好きだ」と言いたいのに、してほしいことをしてくれなかったから、「大嫌いだ」という。それだったらただの感情で無知で、嘘です。恋に落ちると「あんたのこと世界一、大好きだ」と言いますけど、真っ赤な嘘でしょう。ただ感情で、その時その人のこと好きになっただけ。感情からでてくる考え、言葉は、何の根拠もない嘘です。

客観的に考えて、調べて研究した結果は嘘ではありません。調べたところで達した結論は嘘ではない。しかし、もっとデータ取れるかもしれないから、「真理」とは言えません。真理というのはお釈迦さまの言葉だけです。お釈迦様は、一切を「知り尽くして」言っているのですから。我々はある程度のデータを集めて結論に達するだけですから、言えるのは、「これは嘘ではない」という程度です。

自分は感情的に「苦しい」と思って仏教をやっているのだと解ったとき、どう方向修正すればいいんでしょうか?

それには、学ぶことです。いろいろ学ぶことです。ひとつ、言い忘れたポイントがあります。世の中では、これが善い、これが悪いと判断します。「人生は苦しい」と言ったり、「いや楽しい、頑張れば何とかなる」と言ったり、そうやって白黒に分けようとします。それは、あまりよくないんです。よく見てみると、そう簡単に分けられるのでしょうか? 「人生が苦しい」と言う場合、「楽な人生もあるんじゃないか」というか反対の説もあって、そこから出てくる考えだから、白黒論です。その道は、仏教は認めないんです。

ある宗教の方々は、「生きることはろくなものではない。全部捨てるぞ」という感情で修行して、それである冥想の境地にも達します。これは「心を止める瞑想」と言うのですが、仏教では禁止しています。

白黒を分けるのは気をつけたほうがいいのです。白黒分けないで見たとき、生きることは苦だとわかったら、それは真理の答えなんです。例えば、美しいキノコがあって、すぐ食べたい。でも、この美しいキノコは毒キノコだよ、という場合、キノコに評価しているのです。その場合は事実です。しかし、「ニンジン大嫌い。あんなもの食えない」というのは感情です。それは事実ではない。ニンジンは健康的な食べ物だけど、ある人はそれが嫌い。でも、強引に食べさせても死ぬわけではない。その人の体に栄養になりますから。

でも例えば、アレルギーの人がいて、ニンジンを食べられない。「私にとってはニンジンは毒です」というのは正しいんです。このように、ものごと判断する場合は、善悪に分けるではなく、状況を調べて、善いか悪いかを判断しないといけない。

我々はそういう判断で生きているでしょうか?ちょっとしたことあると、すぐ全体的に善悪判断してしまうでしょう。ある人が犯罪を犯すと、家族まで糾弾するでしょう。家族から犯罪者を出したんだから、家族も被害者なのに。彼らも助けてあげないといけないのに。

そういう間違った思考で、「我々はあれも知っている、これも知っている」と言ったところで、感情だけで真理には達しません。ブッダが教えたのは、そういう(感情だらけの)自分を正す方法です。どうせ感情で生きていて、完全な判断はできないのです。しかし、自分にできる範囲の判断はしっかりしないといけない。しゃべるときもすごく気をつけて、自分の調べた範囲では、これこれであると言わないといけないのです。

ものごとはうかつに判断できません。我々は、真理を発見しないといけないんです。そうすると、判断でもなんでもなくなります。「地球が丸い」というのは、判断ではなく事実です。事実に達したら判断とも何ともいえない。事実に達していない場合は判断するのです。

お釈迦様は、「真理を守りなさいよ」と仰いました。

その意味は、「何かを言う場合でも断定的ではなく、『私の知っている範囲ではこうだ』と言いなさい」ということです。誰かのことを訊かれたとしても、「Aさんは、私の知っている範囲ではこうですよ」と言えばいい。「私の知る限り、Aさんは落ち着いている人だ」と言えば、真理を守っています。他の人が、「Aさんは感情のコントロールをできないと言って、実際Aさんが精神科で性格異常と判断されるかもしれません。それはわからない。でも、「私の知っている範囲では」と一言加えて言うだけで、真理を守ったことになります。その人は、「真理を知らない」けれど、「真理を守っている」のです。ですから、今日からやってみようと思ってください。人生が変わりますよ。

真理を守って生きる人が、「真理を知る」ためには、心の中で感情的なセクションをなくさないといけません。そうすれば、信頼できないこの世界で問題なく生きて生けます。それで、感情の判断を離れて、「生きることは苦である」というお釈迦様の説かれた真理も発見できるのです。
(文責:佐藤哲朗)

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

「インチキだらけの世界で「人物」を見極める4つのポイント」(55分27秒)をダウンロード

A. Sumanasara thero. Photo by Harumi Aidaスマナサーラ長老のご法話をポッドキャストで配信。4月26日(木)上座仏教教室での質疑応答より(千駄ヶ谷区民会館にて収録)。

貴方は騙されることなく、マインドコントロールされることなく、「人物」を見極められますか?

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

仏紀2551年(西暦2007年)のウェーサーカ祭を記念して、日本テーラワーダ仏教協会オリジナル壁紙を配信します。昨日発送されたパティパダー5月号(Vol.14 No.01)の表紙イラストをもとした作品です。お釈迦様の生涯を貫く「生きとし生けるものへの慈しみ」を表現しています。どうぞご活用ください。

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サイズ1(800×600)

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サイズ2(1024×768)

絵の解説
白鳥を救った悉達多王子(仏伝より) イラスト:上杉久代
ある日、シッダッタ王子(のちの釈尊)は仲間とともに王苑で遊んでいたところ、矢が刺さって苦しんでいる白鳥をみつけました。従兄弟のデーワダッタに弓で射られたのです。王子が白鳥を抱きかかえ矢を抜いて介抱していると、デーワダッタが駆け寄ってきて「白鳥をよこせ」と迫りました。王子は「鳥が矢で死んでときは射た人のものだが、生きているときは救った人のものだ」と突っぱね、白鳥の帰属は国中の学者を集めた会議に持ち越されました。長い討論の末、若い学者が立ち上がり「すべての生き物はその生命を守る人のもの。それ故に、白鳥はシッダッタ王子に渡されるべきだ」と提案し、すべての学者がその意見に同意しました。王子は白鳥が全快するまで世話をしてやり、仲間と一緒に自由に飛べるよう放してやりました。白鳥さんよかったね。

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「無意識は「ない」~俗世間の心理学とブッダの心理学~」(24分31秒)をダウンロード

Sumanasaraスマナサーラ長老のご法話をポッドキャストで配信。4月12日(木)上座仏教教室での質疑応答より(千駄ヶ谷区民会館にて収録)。

無意識は「ない」/貪瞋痴と不貪不瞋不痴というブッダの心理分析/ブッダの時代の児童虐待ケース/俗世間の心理学は「神秘主義」。ブッダの心理学は「心の科学」です/心の波長を「怒り」にあわせてはいけない/「慈しみ」の波長で生きれば、周りの人も「怒れなく」なる/慈しみを育てるとエゴ・自我が成り立たなくなる/「慈悲の瞑想」は他人のためならず。

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本日夕方、日本テーラワーダ仏教協会機関誌『パティパダー』5月号(Vol.14 No.1,No.147)がたくさんのボランティアの皆様のご協力で無事発送されました。レイアウトなどより読みやすくリニューアルしました。数日中にお手元に届くかと存じます。どうぞお楽しみに。

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"Course of metta-bhavana" by Alubomulle Sumanasara Thero

4月8日名古屋「日本ガイシフォーラム」瞑想会でのスマナサーラ長老による「慈悲の瞑想」指導の様子。時間制限のないGoogleVideoで公開しました。36分29秒。上のリンクをクリックすると観られます。 [Dhammacast]名古屋「初期仏教デー」法話(3)とほぼ同内容(冒頭の法話がちょこっと欠落)です。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

「スマナサーラ長老“はなまつり”にちなんで(3)慈悲の瞑想」(38分37秒)をダウンロード

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4月8日名古屋「初期仏教デー」でのスマナサーラ長老のご法話をポッドキャストで配信。

その3:『慈悲の瞑想』指導/朝起きて最初の思考を「慈悲」でスタート/夜寝るときも「慈悲」の瞑想を/姿勢を正して瞑想準備/私が幸せでありますように/心の明るさを保つために挑戦/自分ひとりだけ幸せでは狭すぎる/自分の親しい人々も幸せでありますように/自分自身を心広い強い人間にするための実践/具体的には誰のこと?/あまり具体的に思い浮かべると腹が立つ?/生きとし生けるものが幸せでありますように/仏教の希望はスケールが大きい/無量無制限の心をつくる/生命たるものは幸福でありますように/仏教では神へのおねだりはない。神々が幸福であるように我々が願う/本気で誠意をもって念じてください/嫌いな人々・自分を嫌っている人々も幸せでありますように/本物の慈悲は奇跡を起こす/偽善になる弊害をチェックする/正直であることは大切だが「未熟」は克服すべき/瞑想を繰り返すことで心が成長する/偽善が消えて慈悲が完成する/すべての生命の生きる権利を守れば自分も守られる……

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「スマナサーラ長老“はなまつり”にちなんで(2)」(51分21秒)をダウンロード

A. Sumanasara thero. Photo by Harumi Aida4月8日名古屋「初期仏教デー」でのスマナサーラ長老のご法話をポッドキャストで配信。

その2:ブッダのすごいところは超越した智慧を誰にでも解るように説くところ/ブッダに帰依すると頭よくなります。自信を持って明るく生きられます/何が起きてもそれにしっかり対応できること。その智慧が仏教/同じ現象を見て何を思うかはその人の心による/自分の人生を天国にも地獄にもできる/サンタクロースの「嘘」で子供の心が堕落する/あいまいな言葉で人間が不幸になる/すぐ簡単に幸福になれるのに自ら不幸の道を歩む人間は掛け値なしの「愚か者」/「いま幸福になる」秘訣を身に付ける/お医者さんを笑わせてあげるのは患者の務め/生命への差別をやめましょう/「そのまんまでいいんじゃないか」と“周り”を見られますか?/「世直し思考」は「怒り思考」/「他人が変わってくれれば私は幸福」は成り立たない/自分で自分を拷問にかけるなかれ/他に完璧さを求める愚かさ/幸せでありますように、悩み苦しみがなくなりますように、願い事がかなえられなますように、悟りの光があらわれますように/ブッダに手を伸ばしたら、もうどこにも手を伸ばさなくていい……

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

「スマナサーラ長老“はなまつり”にちなんで(1)」(49分54秒)をダウンロード

Sany0060 4月8日名古屋「初期仏教デー」でのスマナサーラ長老のご法話をポッドキャストで配信。

その1:「花祭り」にちなんで……お釈迦さまの誕生を祝う/命かけて守ったブッダの教え/輪廻転生を発見したお釈迦さま/生命は誰一人似ていない/「人と比べる」という「不幸の玄関」の鍵を捨てる/仏教を学んで100点満点の人生を/「優柔不断」を乗り越えた菩薩の波羅蜜行/ブッダの出現と「希有未曾有の法」/三帰依した人々の笑顔は誰も奪えない/ブッダに帰依する人が比類なき智慧の世界に入る……

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4月10日(火)夕刻、タイ王国に本部を構えるダンマソサエティ財団のご一行が岡田副会長のご案内でゴータミー精舎を表敬訪問されました。ダンマソサエティ財団は去る5日に日本テーラワーダ仏教協会に授与されたローマ字表記の新しい三蔵(ティピタカ)を編纂した団体です。

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表敬訪問されたご一行は精舎一階仏殿でお釈迦さまに礼をして、タイ風にナモー・タッサ……の礼拝をされました。本堂でスマナサーラ長老より祝福の読経をうけた後、Chancellor of the World Tipitaka Project のMaj. Suradhaj Bunnag先生などから今回授与された三蔵の歴史的意義などについてご挨拶をいただき、記念撮影(相田晴美さんの手で即座にプリントアウトされ全員のポートレートとともにお帰りの際にプレゼント。たいへん喜ばれました。ハイテク&ど根性の賜物)の後、和やかな茶話会と記念品の贈呈が行われました。

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Maj. Suradhaj Bunnag先生自ら、熱心にホームページの解説などをしてくださり、協会側の参加者も含めてまるで親戚同士のように打ち解けあって、和やかなひとときを過ごすことができました。いいねぇ、仏教国って。

↓ダンマソサエティ財団のホームページ
Dhamma Society Fund

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寺猫ナミも茶話会に途中参加。ネックレスは仏旗仕様。

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4月8日は名古屋で日本テーラワーダ仏教協会会員を中心とした有志の集い「東海ダンマサークル」発足式とA.スマナサーラ長老お迎えしての「ヴィパッサナー瞑想と法話の会」が開催されました。ちょうど花祭り(潅仏会)と重なったこの日のイベントを『名古屋「初期仏教デー」』と銘打ってパティパダー誌上で紹介したところ、協会事務局には連絡問い合わせが相次いで関心の高さをビンビンと感じていたのですが……。

Shisetsu 会場となった名古屋市総合体育館サン笠寺は4月1日から名称変更されて日本ガイシフォーラムに。キョロキョロしながらそれらしき建物の前に着くとゲンドー軍団がところかまわず木刀をぶんぶん振り回している。何とかよけながら施設に滑り込むと、朝10時前にも関わらず会場の和室には50名もの方が参集されていました。

謙虚すぎる正田大観師とろれつの回らない事務局佐藤(寝てない)がマイクをおっつけあい、どうなることやらという感じで始まった「東海ダンマサークル」発足式でしたが、東京から駆けつけた小西会長からご挨拶をいただき、自己紹介が一巡したあたりから和みだして、穏やかな連帯感が染み渡っていったように思います。

お昼ごはんをはさんで12時45分頃、スマナサーラ長老が名古屋に到着されました。「ヴィパッサナー瞑想と法話の会」開場時間の1時を過ぎると広い和室の部屋は善男善女で埋め尽くされていきました。最終的には、120名ほどの方が瞑想会に参加されたようです。

Sany0051 1時半きっかりに「ヴィパッサナー瞑想と法話の会」がスタート。花祭りにちなみ、お釈迦さまの海のごとき徳の深さを思い起こす、まさに「聴く『仏随念buddhaanussati』」というべきご法話からはじまって(こちらの動画でさわりをご覧ください)、45分ほどかけてじっくりと『慈悲の瞑想』を学び、休憩を挟んで2時間半かけて、参加者全員で、ヴィパッサナー瞑想の初心者指導を受けました。スマナサーラ長老よりパーリ語の祝福を受け、廻向の文をとなえた後も活発な質問が続き、いつまでも続けたいような余韻を残して閉会しました。会場の片づけにもたくさんの方が残ってくださって、東海ダンマサークルの活動も幸先よくスタートしたのでした……。

会場が広い和室でリラックスできたこともあったと思いますが、東海各地から参加された方々の法を聴く熱心さ、集中力の高さも感動的で、まれに見るような濃密で充実した会になったと思います。東京から参加した僕も元気玉もらいました。超ご多忙の中、東海の地に最勝のダンマの種を撒いてくださったスマナサーラ長老に合掌礼拝。準備に尽力された正田さん、葛原さん、葛谷さん、吉田さん、森川さんはじめ、東海の法友方の善徳に随喜いたします。

次回の名古屋「初期仏教Day」は7月14日(土)会場は同じく日本ガイシフォーラムで開催される予定です。

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花まつり(潅仏会)

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4月8日の花まつり(潅仏会 釈尊降誕会)をゴータミー精舎でも開催しました。
精舎のガレージを仏旗で飾り、会員の本間さん作の花御堂に誕生仏をおまつりしました。

釈尊が降誕されたとき、神々が注いだ甘露を産湯とされたそうです。それにちなんで甘茶(京都のお茶屋さんから取り寄せ)をひしゃく(浅草合羽橋商店街で購入)で誕生佛に注ぐという独特のご供養をするようになったのですね。

今年はティーバックで購入した甘茶をお参りの方にもご接待。甘茶ティーバックは薬缶で煮出さなくても、少量ずつ淹れられるのでなかなか便利でした(それでも大き目のティーポットにパック一つで充分風味が出ます)。まだ若干ございますので、お参りの際にはぜひ試してみてください。

追伸:栃木のダンマーサナからも本格的な「花まつり」のレポートが届いております。

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「身体のことしか考えない(ダンマパダ[法句経]152偈)」(11分51秒)をダウンロード

A. Sumanasara thero. Photo by Harumi Aida

appassutaayaM puriso
balivaddo va jiirati
maMsaani tassa vaDDhanti
paJJaa tassa na vaDDhati.

(Dh.152)

学ぶことの少ない人は牛のように老いる。
彼の肉体は肥えるが、智慧は成長しない。

(ダンマパダ[法句経]152偈 訳:スマナサーラ長老)

アルボムッレ・スマナサーラ長老の法話ポッドキャスティングです。「食べることに異常にこだわる」「身体のことしか考えない」現代人の生き方に警鐘を鳴らします。いま、人類は動物と同じ……どころかもっと危ない橋を渡っているのです。(2005年6月9日 ゴータミー精舎にて収録)

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4月5日午前、東京帝国ホテル扇の間にて、来日中のタイ王国ニット・ピブーンソンクラム外務大臣閣下から、日本テーラワーダ仏教協会に40冊のタイ版ローマ字Paalitipitaka(パーリ三蔵)が寄贈されました。

ニット・ピブーンソンクラム外務大臣閣下を岡田秀雄副会長が表敬訪問した後に開かれたPaalitipitaka(パーリ三蔵)贈呈式式典には、タイ政府側からパチャリン・ピブーンソンクラム外務大臣夫人、ノラチット・シンハセーニー外務副大臣、アヌソン・チンワンノー東アジア局長、スゥィット・シマサクン駐日大使はじめ在京タイ王国大使館関係者が列席されました。

日本テーラワーダ仏教協会からは会長の小西淳一、同副会長杜多千秋ら二十数名が見守るなか、金色に輝く40冊のTipitaka(三蔵)が寄贈されると、会場から盛大な拍手が起こりました。

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タイ王国ニット・ピブーンソンクラム外務大臣閣下から岡田副会長に三蔵経が寄贈される(撮影:相田晴美)

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パーリ三蔵を囲んで。タイ王国ニット・ピブーンソンクラム外務大臣ご夫妻(中央右)岡田秀雄副会長(中央左紋付袴)(撮影:相田晴美)

 日本テーラワーダ仏教協会に寄贈された40冊のTipitaka(三蔵)は、タイ・ダンマ・ソサエティ財団により製作され、「2007年3月6日、タイ外務省がパチャラキティヤパー王女殿下より御信任を賜り、世界各国の重要な機関に寄贈されるもの」です。

 いまを遡ること114年前(1893年)、チュラロンコーン大王(ラーマ五世)の時代にも、パーリ三蔵が日本の大谷大学、龍谷大学、国立国会図書館を含む世界30カ国の260機関に寄贈されました。岡田副会長が1983年にパーリ三蔵が贈られた場所の調査に尽力されたことが、このたび、日本テーラワーダ仏教協会にTipitaka(三蔵)が寄贈される契機になったのですね。

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パーリ三蔵を囲んで。参列した日本テーラワーダ仏教協会会員有志一同(撮影:相田晴美)

 八個の専用ケースに収められた40冊のパーリ三蔵は、日本テーラワーダ仏教協会会員の皆さんの手で、東京駅の新幹線ホームまで大切に運ばれて、大阪の地へと旅立ちました。

サードゥ!サードゥ!サードゥ!

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