[Dhammacast]“悟りたい”人が悟れない理由

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「“悟りたい”人が悟れない理由」(19分14秒)をダウンロード

アルボムッレ・スマナサーラ長老の法話ポッドキャスティングです。
「仏教では、『真我(アートマン)』を発見しようと努力する代わりに、『執着を捨てる』ことを教えます。仏教の瞑想法は「捨てる訓練」なのです。仏教徒であることさえ、真理の発見にはハンディになることがあるのです。……」“執着”というキーワードから明かされる、ブッダ瞑想論の深層。
3月16日、上座仏教教室(ゴータミー精舎)での質疑応答より。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

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悟りとか涅槃と言っても私が空想するに、いまどき携帯電話で「悟り」とか「涅槃」にかければ、万人即、悟りとか涅槃に達すると思います。私は携帯を持っていません。大乗仏教では全ての人が悟るまで待っている菩薩だか観音様だか居ましたよね。上座仏教では永遠の魂が嘘っぱちなら、浄土も嘘っぱちだと言いますよね。つまり、私が携帯を持てば、三界全て涅槃に達し、消滅するって事でしょうか?

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このページは、naagitaが2006年7月19日 13:00に書いたブログ記事です。

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