A.スマナサーラ長老 春の無料講演会(3月25日)

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060325hatagayacityhall 3月25日(土)13:30-16:30 幡ヶ谷区民会館(東京都渋谷区幡ヶ谷)にてスマナサーラ長老の講演会『六つの感覚を悟る ブッダが説く「すべて」とは?』が開催されました。

ゴータミー精舎の地元・幡ヶ谷のホールを使った講演会は今回が初めてだったのですが、22日に東京新聞に催し物案内が掲載されたこともあって、会場には約200名が参集して大盛況となりました。

時間の関係で質疑応答を割愛せざるを得ませんでしたが、皆さん充実した時間を過ごしていただけたのではないかと思います。

以下、当日のメモから、講義の一部をご紹介します。このままお経のように毎日唱えたくなる内容です。

知る世界の法則

  • 「知る」という機能の法則を理解できたら一切知者です。
  • 知る場合は眼・耳・鼻・舌・身・意という六つの感覚器官で知るのです。
  • 感覚器官が一つもなければ、生命ではありません。ただの物体です。
  • 感覚器官を通して知る過程を、その法則を発見することが、「知る世界の全て」なのです。

  • 眼がある。眼に「色と形(色 ruupa)」が見える。
  • 眼に色が触れる。それを感じる。感じたものを知る。
  • 外にあるものをそのまま見るのではなく、見る人が感じたものを知るのです。その「知」に、見えた、視覚と名付ける。
  • 自分が見たから、その「知」は正しいと思う。「知」に対して愛着も生まれる。

  • しかし、情報は同じであっても、「知」はバラバラです。
  • 皆で、ざるそばを見ましょう。では、皆様に同じ認識が現れますか?
  • 食べたばかりの人、お腹が空いている人、飢えている人、そば好きな人、嫌いな人、中国人、ベトナム人、アメリカ人などの認識、気持ち、反応は決して同一ではありません。

  • では、誰が正しく見たのですか?
  • だれの認識が間違っていますか?
  • 他人が知るように、認識するように自分にも認識できますか?(そばを嫌いな人の気持ちがそば好きな人にわかりますか?)
  • しかし、だれも正しくないし、間違ってもいない。自分が感じたものを知るだけ。それは主観です。主観は真理ではない。
  • 同じ法則を耳・声(音)、鼻・香(におい)、舌・味、身(からだ)・触(触れるもの)にも適用して観察してください。
  • 意(こころ)・法(こころの対象)も同じ法則です。
  • 限りなく考える、妄想する。そちらにも対象(法)がある。
  • 自分の思考に一番執着、愛着するから、妄想からの悩み苦しみは強烈です。
  • しかし、誰一人も同じことを妄想しません。

  • このように、ありのままに見ると、六つの感覚器官から生まれる認識は主観であることが発見できる。
  • 主観とはある個人だけの知る世界です。
  • 個人には自分の主観しかないから、知っても、知っても、主観なのです。知っても、知っても、真理を発見できず無知でいるのです。
  • 主観から解放されなくてはならないのです。

  • 眼は無常、常に変化する。だから、何でも感じられる。色は無常、常に変化する。だから、眼で感じることができる。
  • 視覚は無常、常に変化する。だから、次から次へと知ることが出来る。
  • 「知」は瞬間的なものです。しかも、主観です。普遍的な真理でもありません。
  • その知識に、それから現れる感情に執着しては、固執してはならない。

  • 六つ感覚器官についてこのような公式で観察して、無常たるものついて、因縁によって現れるものについて、執着を捨てて「解放」、「自由」を目指す。
  • 正しくない「知」によって、人は執着を捨てず、無限に輪廻転生しながら苦しむ。
  • 「解放」が出来た人は一切の苦しみからも解放される。
  • 知識を捨てた人に何でも知り得る智慧があるのです。
  • 六つの感覚器官を悟ることは一切知者になる方法なのです。
  • 主観に対する執着を捨てると、必要なものならそれを知る能力があるのです。
  • △の面積を計算する公式を知っているなら、どのような△の面積も計算出来る。
  • このように、悟りを開いた人には何でも知ることができますが、必要なもの以外無駄に挑戦しないのです。

感覚器官の法則を知る人には悩み苦しみはありません。

  • 主観・固定概念・妄想から生まれる無意味な苦しみから脱出しましょう。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

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このページは、naagitaが2006年3月26日 17:32に書いたブログ記事です。

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