冥想会での質疑応答「自尊心が傷つけられたとき」

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62520007  本日はゴータミー精舎にて、A.スマナサーラ長老のヴィパッサナー瞑想会。初心者指導に20名以上の方が詰め掛けて大盛況でした。当日の質疑応答のやり取りをご紹介します。(速記を基にしたので不正確なところもあるかもしれません。ご容赦ください)

自尊心が傷つけられたとき

◇自尊心の定義

Q 「自尊心が傷ついて落ち込む」ことがあります。世間一般や西洋心理学では、自尊心ということが言われます。仏教では自尊心についてどう捉えているんでしょうか?

A 自尊心、自尊心、と言いますが言葉の定義は?

Q 世間で認められること、愛される、自尊の感情…ということでしょうか? それを仏教ではどう考えるのかと…

A 定義がはっきりしないと単語さえ使えません。「自尊心ってさっぱり解らないけど自尊心を大事にしましょう」とか、そんな態度で生きているんだから。魂、神様、自尊心…みんな定義さえはっきりしないで会話しているんです。そんな程度では、仏教とは噛み合いませんよ。日本人同士で話し合えば、それでも会話になるでしょうが…。まず、自尊心って何のかはっきりして欲しい。話し合いをするためには普遍性が必要です。日本人は身の回りのことだけで、普遍的な思考をしないのですから。だから議論が進まないんです。
 一般論として、「自尊心」というのは、自分を大事にする、ということでしょ? 社会が自分を傷つけたりすると「自分は大事な人間である」ということが傷ついてしまう。なぜ悩み苦しむのか? それは自尊心が傷つくからなんです。自分は大切にされたいのに、まわりはいろんなことをいう。批判されると、けなされると、無視さえると、苛められると、かなりきつんです。
 私は、バカにされたら解る人には解るように智慧を使ってやりかえすんです。でも相手が何を言っても、それに理由があるなら、ちゃんと聴く。人には誰でも「自分は大事だ」という気持があるのです。親とケンカするのも、自尊心の問題です。
そこで、世間の心理学では「自尊心」についてどう言っているんでしょうか?

Q よく聞くのは、自尊心が低くなっている人が、自分を大事にできない行動をしてしまったり。…

A 対処法は?

◇普遍性のない問題

Q うーん…自分がどうするか、より周りがどうするか、という傾向が強いようです。

A ということは、私の自尊心が傷ついたら、世界の皆様が自分を褒め称えてくれなければいけない、ということでしょう。そんな世界があるんだったら、最初から自尊心は傷つかない。親が子供の自尊心を傷つけたら親が子供を褒め称えなければ…。親は親の性格を持っているんだから、いまさら仕方ない。まわりが「あなたは大事だ、あなたは大事だ」と言ってほしいといっても、いってくれないんだから。私は心理学を勉強していないので助かりましたね。
 そんなもの問題にしているのはだいたい日本だけです。世界では「群で護ってくれる」という社会ではない。日本人は自分の家族のことは知らなくてもアメリカのことなら何でも知っているでしょう? アメリカの子育ては知っているでしょ? 群で護ってくれますか? アメリカでは強烈に「自分が自分ひとりで生きていかなければいけない、誰も護ってくれませんよ」ということを最初から叩き込む。そういう社会で、「自分を大事にしてくれない」なんて落ち込むバカがいる? あの世界ではすごく気をつけて他人をバカにすることはしないのです。
 それに、世界では、無視したとか挨拶しなかったとか、そんなことで落ち込むことはないんです。
 ある日本人と結婚した外国人女性と話したことがあります。彼女のことを周りはすごくバカにする。自分の息子が結婚した女性に「財産泥棒」とまで言ったりする。たいへん素晴らしい家庭環境です。でも旦那とお互いには好き。離婚はしたくない。本人は自分の文化も捨てて、気持ち的にも日本人になりたがっている。それで精神的にもおかしくなってしまった。嫁だから親戚のいろいろなことに参加しなければいけない。でも排除される。自分が日本文化に慣れたいのに…精神的にはくたくたに傷つく。
 他の世界で、おじいさんの葬式に「あんたは関係ないから来るなよ」なんて言われたら、「ああ、よかった。だったら私は映画でも行きますよ」という反応になるんです。人をバカにしたら、どんな結果になるか解りません。だから気をつけてめったなことは言わない。
 アメリカやヨーロッパでは、他人の尊厳を傷つけることはしない。はじめから、あなたは一人で独立して生活しなければいけないと知っている。職場に行ったら競争の争いは当たり前だと思っているんだから。競争はする。負けても勝った人に「おめでとう」と言って握手して帰っていく。勝者を最初に祝福するのは競争相手です。「あいつはにくい」とか「私の自尊心をどうするのか」とか、それは日本だけで起こる問題ですよ。だから、普遍的な人間の心理を扱う心理学には答えがないんです。
 日本では、なんでも周りが護ってくれる、群が護ってくれる、お母ちゃんが護ってくれる、会社がみんな面倒見てくれる、結婚したら奥さんがやってくれる。なんだ、他人任せの生き方は。動物園の動物みたいな生き方なんです。そういう文化を創ったから、いろんな問題が出てきちゃった。それはあなた方日本人の問題です。普遍的な人類の問題ではないんです。

◇日本人が特別だという「高慢」な思考

Q 昨日のテレビ(『生命38億年スペシャル 人間とは何か? V』)で「日本人のほとんどが、傷つきやすいS遺伝子を持っている」云々といっていました。それから、self-esteem ということは欧米の心理学でも言うのでは?

A それって結局、「日本人は人類ではない、特別な存在ではないか」ということでしょう? あまりにも高慢すぎではないでしょうか? 他人様が護ってくれる、という生き方では弱いんです。いわしの群みたいでしょう?そういえば、以前テレビを見ていたときに、鰯(イワシ)の群がサメに襲われていたとき、そのなかの頭のいい一団がサメの身体にそって周りを囲んだら、サメが恐怖を感じて逃げたんです。弱いイワシがサメを撃退したんですね。
 日本人は傷つきやすいS遺伝子持っていながら、あなた方ほど他人を傷つける人々がいるのか? 思考はいつでも差別的で、他人をぜんぜん尊重しない。傷つきやすいS遺伝子を持っていながら、どうして他の生命を苛めることばかりするのでしょうか。自分も外国人だから、よく知っていますよ。ちょっとした一言で傷つく人々が、どうしてベラベラと他人を傷つけるのでしょうか?
 日本人の間違いと言うのは、西洋の心理学を学んで、self-esteem のない文化にどうしてself-esteemという単語を入れたのか?人の顔色を観て謙虚に生きようという文化でself-esteem は必要ないでしょうに。世界的に名前のある日本人はそういう変な自尊心なんか持ってないです。自分の仕事を淡々とやっています。それで国際的にも立派な人間になる。成功した人の生き方というのを研究したほうがいいんじゃないかなと思います。本物を調べないと。タレントみたいなバカの生き方は研究しなくてもいいんです。
 自尊心ではなくて、サバイバルという問題がある。「生き延びるにはどうすればいいのか?」という問題が大切なんです。

◇「独立主義」も「群主義」も生きるための公式は同じ

Q はじめは好きで努力していたはずなのに、あんまり自尊心が傷つくと、他人に勝とうとして努力してしまう。それはよくないと思うのですが。見返してやろうと努力したり、怒って努力したりしてしまうんです。

A 怒りで努力すると失敗する。世間で言っていることには答えがない。自尊心を持って生きることも可能です。自分がこの世の中でどうやって生きていけるのか?と計算しながら他人とぶつかることなく、自分の能力を向上して生きていく。ヨーロッパ的アメリカ的な生き方。向こうは核家族。独立性のある生き方ですから。日本も核家族ですが、土台ができていない。だからヨーロッパの真似はしてもどこか上手くいかない。
 独立主義と違うもうひとつの生き方は、日本人の生き方なんです。みんなでひとつの巨体として、みんな一つの人としていきようではないかという、鰯の群みたいに、大きな群を作ってなんとか生きていく。お互いに調和して生きる。頭のいい鰯(イワシ)の群のようにサメも撃退できる。自分のいる位置で自分の仕事をする。自尊心を考えないで生きても、それは悪くない。
 私はどっちでもないんだから、どちらでもかまいません。しかし、どちらの生き方をしたとしても、普遍的な法則があるんです。
 アメリカ人でも「お前バカじゃないか」と相手の自尊心を傷つけたら終り。ぜったい言わない。いつでも一人で生きていかないといけないんだから、他人を敵に回さないんです。群で生きていても、調和するためには相手をけなしてはいけない。「人をバカにするなよ、それであなたは終わりだ」それが生きるための公式なのです。

◇人をバカにしてはいけません

Q 自尊心が傷ついた後のほうが、人をバカにしたり差別したがったりする気がします。

A それは更に自己破壊でしょう? 自尊心があってもなくてもいい。公式は「人をバカにしてはいけない」ということ。アメリカでも日本でもインドでも。私は日本ではいまだに外人ですが、インドでは3分で対等になる。自分が外国人だと相手に理解してもらうのに苦労するくらい。
 外国で宗教争い、民族争いがあるのは相手をバカにした結果。どこでも失敗はあります。日本だけではなく。ヨーロッパでもどこでも。相手を馬鹿にしなければ、けなさなければ何のことなく生きていられる。それが人類の公式。
 攻撃してもいいけど、怒り憎しみで仕返しすると自己破壊になる。自尊心は怒りでは護れない。
 国会などでも(日本の国会はあまり参考になりませんが)、お互いに喧々議論をしても自尊心を傷つけたら懲罰を受けなければならない。議員たちも本気でケンカまでします。でも同じ事を言っても、相手の自尊心を護りながら話すことはできる。「あんた嘘吐きや」と決め付けるのと、「そんな証拠のないことを言っていいんですかね、あなたのような人が」どっちが自尊心を尊重していますか? そのポイント意識しておけば、ケンカしたってかまいません。ケンカはどうせいいことじゃないけど、仲間とぶつかる事あっても、自尊心だけは傷つけるなよ。
 梅宮辰夫さんには外国人の奥様がいるのですが、「私は夫婦喧嘩をしょっちゅうするけど、ひとつだけいわない言葉があるのだ」と仰っていました。「お前でていけ、帰れ」とだけは絶対に言わない。奥さんは外国人だから。「アイツには帰るところがないんだから」と。相手を大事にしているでしょう? しっかりしているんです。ちゃんと相手の自尊心を護っているんです。
 自己管理できないんだったら、ケンカしないことです。腹立ててケンカするならばものすごく注意しないと。self-esteem というよりは、「dignity」を護らなければならないんです。

◇イジメは当たり前の現象だけど…

 それから、他人が自分の自尊心dignityを傷つけることがあるかもしれません。特に日本の社会では。
例えば、学校のイジメは当たり前のことですよ。子供が互いにイジメあわなかったら、それは異常ですよ。なんで日本人の子供はそれぐらいで自殺するのか? 子供っていうのは、散々ひどいことをしますよ、学校では。しかし、それで自殺するのは日本人だけ。その場合でも、イジメているのではなく、その子供の存在価値そのものを貶しているんです。それは動物さえもしないことです。だから、「イジメをやめよう」って何考えているのか。ふざけて遊ぶのは子供の習性だから。机一つ一つに檻でもつけるんですか? 子供に鎖をつけて校庭に連れて行く? イジメをやめさせることはできません。でもこちらのイジメのやり方が、人間の存在価値を貶すんだから。それが問題なんです。
 世の中で傷ついて落ち込んでしまうのは、相手に何か言われたからではない。相手が自分の存在価値を否定してしまったとき。それがすごくこたえるんです。それは教えてあげるのが難しい。こういう文化だから…。まず自尊心がなくて、群の心境でいる。それだったらみんなで一緒にいればいいのに。出る釘が打たれる文化だったら出なければいいでしょうに。みんなが一緒に生きているんだったら、相手をバカにしてはいけないでしょうに。一人ひとりが社会の歯車だったら、じぶんの決まったスピードで回ればいいでしょうに。それがアメリカの真似して勝手に回る。上手くいくはずがない。私からみれば、個人主義も群主義もどっちでもいい。
 親子はいくらケンカしてもいいけど、お互いの存在価値を否定するのは何故?「お母さんなんか大嫌い」とか、子供であってもどんでもないことです。それでお母さんが怒ったら子供の自尊心をつぶしちゃうし。だから仕方ない。ご飯を作って「嫌いな人の作ったご飯なんか食べないでしょう」「お母さんが好きな子供だけ食べてください」とか子供に仕返ししてもいいけど、何もしないのが一番いいんです。言い返すためにはすごい智慧が必要ですから。

◇究極の安全対策

安全対策:バカにされてもバカにしないこと。自分が気持悪いのはバカにされたからです。だから私はそんな気持悪いことは絶対にしない。それで上手くいきます。誰にも傷つけられないすごい自分ができあがります。ゴムのように柔軟にいきる。ガラスのように割れません。自分が明るくて智慧があれば、バカにされたお返しできます。でもみんな暗いんだから。安全なのは、お返しも何もしないこと。自分は絶対にこんな悪いことはしない。仕返しはきれいさっぱり止める。止めて、相手の自尊心をしっかり護ってあげる。相手の自尊心を護ると、人間は魔法にかかったようになる。相手に対して何も悪いことをしない。魔法使いの杖ですべての生命に魔法をかけるのです。自分が傷ついても自分は誰の心も傷つけはしない。人の自尊心を護ってあげる。ライバルでも自分を馬鹿にした人でも、相手はバカにしない。これは母親から小さい頃に教えてもらったことなんです。
「お前は野良犬に足をかまれたら、野良犬を追いかけて野良犬の足を噛むのか?」と。仕返しがいかに品がなくて気持悪いことかと。犬にかまれたら犬を噛む、という生き方でしょう。…あまり日本文化にあわないなぁ。犬は日本では人間よりもありがたい生きものになっていますからね。

◇道徳説話「熊とコーラ樹の精霊」

 私たちは何でも御伽噺で勉強します。難しい論理なんかも。

 昔々、あるインドの森のなか、コーラ樹の根元で、一頭の熊が寝ていました。
 スヤスヤ寝ている熊の上に、樹上からボトッと枯れ枝が落ちてきたのです。
 枯れ枝に当たった熊は、不意の痛みに飛び起きました。
 安眠を妨害されたことに腹を立てた熊は、枯れ枝を落としたコーラ樹をひどく恨んで、その場を去ったのです。
 ちょうどその時、王様から命令を受けた一団が森の中を分け入っていました。
 彼らは王宮の儀式に使う大太鼓の胴にするため、伐採する大木を探していたのです。
 一行とばったり出会った熊は、話を聞くとコーラ樹への仕返しを思いつきました。
 熊は一行に言いました。
「皆さん方、大きな太鼓の胴にする大木をお探しってことなら、あっしがおあつらえ向きの木を知ってますぜ」
 熊は一行を、先ほどまで寝ていたコーラ樹の下に案内しました。
 なるほど、この木なら幹回りの太さといい、堅さといい、太鼓の胴にはうってつけです。
 一行は早速、コーラ樹に斧を入れて伐採作業を始めました。
 そこで驚いたのがコーラ樹にやどる精霊です。
 樹の精霊は自分が宿っている木が倒れると一緒に死んでしまうのです。
「皆さん方、ここは私の住処です。この樹を切り倒されたら私は生きていられません。どうぞ太鼓にするなら他の木をお探し下さい」
 コーラ樹の精霊は伐採を止めるように必死に懇願しました。
 しかし、コーラ樹の幹にはすでに半ばまで斧が入っています。
「そうは言っても、いまさら止められませんよ」
 王宮の一行は精霊の頼みを拒否しました。
 絶望した精霊は、彼らを唆したのが、先ほどまで樹の根元を貸してやっていた熊だと知ると、一行にこう告げました。
「このコーラ樹を切り倒せば、立派な太鼓の胴ができるでしょう。しかし、大太鼓には大太鼓にふさわしい立派な皮を張らないといい音が出ませんよ。皆さん方は、ご存知ですか? 大太鼓に張るのに最適なのは、熊の皮なんですよ」
 精霊の言葉を聞いた一行は、彼らを案内した熊を捕まえて、大太鼓の皮にしてしまいましたとさ。

 このオハナシで、私たちは道徳を学ぶんです。そこで、「なんで熊が喋るのか?」とか知識人ぶってしまうと、大切な道徳さえも受け取れなくなるんです。

◇慈悲の瞑想こそが特効薬

 慈悲の瞑想でもやれば、自尊心が傷つくことで起こる一切の問題は解決しますよ。でもいくら言っても、本音ではやりたがらないんです。みんなサディスティックというか、苦しむのが好きみたいです。慈悲の瞑想なんか、いくら言ってもやらない。一瞬たりとも楽しく生きた経験がない。落ち込んで暗く生きることには慣れている。慣れている家からは出たくないんですね。でも知ったことではありません。教えるところまでが私の義務ですから。
 『慈悲の瞑想』を実践すれば、自尊心が傷ついた心がみるみる治るし、他人の自尊心を傷つけることもできなくなる。そういう人にはサバイバルは簡単です。慈しみを育てることが答えなんです。仏教の応えは「慈しみ」です。
「自分のことを好きならば、自分を護りなさい。どうしたら自分が護られるのか? 他人に嫌なことを他人にするなよ」「私が私にされて嫌なことは、他人にはやりません」という生き方です。自分が大事にして欲しければ、他人を大事にすることでしょう。世の中で言っていることは、「お金を持っていないのに買い物したいんだ」というようなこと。屁理屈もいいところ、成り立ちません。「私のこと大事にしてくれ、私のことを愛してくれ」というならば、ちゃんとお金を払わなくては。では、払うお金とは何でしょうか? 褒めてほしい人は他人を褒めてあげる。認めて欲しい人は他人を認めてあげる。可愛がって欲しい人は他人を可愛がってあげる。そういうことです。
 褒めるといってもただ口でベチェベチャしゃべっても褒めることになりません。それは自分の人格を変えないと、他人を「褒める」こともできません。人を褒められる能力を開発してそのプログラムを心にインストールしないと。単語だけ褒めても実際に貶していることもあるから。ご飯を食べてもいないうちに「美味しい!」とかね。あれは褒めているんではなく、侮辱しているんですよ(皆それにも気づかず、褒められていると勘違いしているんですが…)。調べようともしないで褒めることは相手に対するすごい侮辱なんです。人を大事にできるように人格をチェンジできれば、人を大事にすることもできます。自分が変わるんです。慈悲の瞑想をやって、心が変わるところまでやり続けるならばね。

いなり&なみ 文責:佐藤哲朗

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

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 2月26日の瞑想会は仕事で参加できませんでしたが自尊心についての質疑応答を拝見しこころ打たれました。日本人が自分たちを特別な存在だと考えているとの指摘は耳が痛いですが、このように問題の本質をずばりと指摘していただけることはとてもありがたいことだと思います。私も1年弱単身でアメリカに滞在していたことがありますがその時の印象では意見の食い違いで衝突するようなことがあっても相手をバカにするような発言や対応は皆無でした。なんとか周りと仲良くしようと必至にコミュニケーションを取っています。もちろん外国人であろうがなんであろうがそばによってきた人間を仲間として笑顔で受け入れる、少なくとも表面上はそのように努力しています。おそらく小さな頃から独立した人間の処世術として対人関係のとり方を徹底的に教え込まれるのだと思います。
 振り返るに日本人の意識はまずグループありきで、外来者に対しては自分たちとは異なる存在として距離を置きます。またグループの考え方や規範に添わなければ個人の存在自体も徹底的に否定する陰湿な対応を行います。もちろん集団での行動ですので個々人は罪の意識などありません。帰国後しばらくは周囲の雰囲気に溶け込めずひどい疎外感を覚えたことを思い出します。海外で生活された経験のある方は同じような経験をされているのではないでしょうか。
 ついでに慈悲の瞑想についてひとこと。最近は周囲の人間に少しでも嫌悪感を感じたらその相手を具体的に思い浮かべてすかさず慈悲のこころを送るようにしています。どんな場所でも瞬時に周囲が違って見え、居心地の良い空間に早代わり、慈悲の瞑想のすごさを実感しています。

番組運営者さま

私、ニフティの「Podcasting Juice」(http://www.podcastjuice.jp)を
担当しております島谷と申します。
「Podcasting Juice」では3月末にリニューアルを予定しておりまして、
新しく番組をジャンルで探せる「カテゴリ検索」の機能を追加いたします。
ついては、「カテゴリ検索」に貴番組を登録させて頂きたく、ご連絡を
させて頂きました。
登録のためにご連絡頂きたい情報をあらためてメールでご連絡
させて頂きますので、ご興味がある場合はrenewal_podcasting_juice@nifty.comまで
ご連絡を頂けますでしょうか?

3月10日までにご連絡頂ければ、サイトがリニューアルオープンした
時点で必ず掲載をさせて頂きます。

お手数をお掛け致しますが、ご協力をお願い致します。

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ニフティ株式会社
コンシューマメディア部
ポッドキャスティング担当

 島谷 貴史(しまたに たかし)

E-mail : renewal_podcasting_juice@nifty.com
〒140-8544 東京都品川区南大井6-26-1
大森ベルポートA館 (受付)6階

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スマナサーラ長老の『自尊心について』を拝見しました。

私は中国に長年、在住しており中国人と日本人の根本的な違いが、分かり長年の疑問が解けた思いです。

『インドでは3分で対等になる。自分が外国人だと相手に理解してもらうのに苦労するくらい。』ここが、大変理解でき、中国では外国人の私には、大変嬉しく思えることです。

大きな群を作ってお互いに調和して生きていく事が日本の文化的価値観だと言ってしまえば、それまですが、群から疎外され狭い日本で、劣等感に駆られながら生きなければならないのでしょうか。
秋葉原の歩行者天国での惨事は、群から疎外された人の結末に見えてならないのです。
世界は、まだまだ人を必要としているし、劣等感を感じずに生きる事は、日本を離れれば直ぐに出来る事なのです。

私が、中国で居心地の良さを感じるのは、この辺かも知れません。

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このブログ記事について

このページは、naagitaが2006年2月26日 19:33に書いたブログ記事です。

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