2010年1月26日18:30からゴータミー精舎で行われたパーリ経典解説(講師:スマナサーラ長老)を実験的にUstreamのDhammacastチャンネルで中継しました。

今回取り上げた経典は増支部四集のUmmaggasuttaṃ(リンク先の6番目の経典)です。
USTREAMサイト上に講義の動画を残したので、以下リンクを貼っておきます。



iPhone 3GS を以下のホルダーでミニ三脚に固定し、
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以下の外部マイクをつけて録音しました。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
昨年12月18日に丸善丸の内本店(オアゾ)で開催された小飼弾氏とスマナサーラ長老の対談映像がUstreamサイト上に残っていました。ベーシック・インカムなどをめぐって丁々発止の興味深いナイヨです。こちらにもリンクを貼っておきます。



テーマとなった著書(スマナサーラ長老との対談収録)はこちら!

働かざるもの、飢えるべからず。
小飼 弾
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4 タイトルからして・・・・
3 残念ながら、私は説得されませんでした。。
5 平成の坂本竜馬! 本気の小飼弾さん
4 小飼弾の"本気"
2 宗教くさくて...

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
去る1月24日、名古屋市笠寺の日本ガイシフォーラムで開催された「名古屋初期仏教デー(ヴィパッサナー冥想と法話の会)」におけるスマナサーラ長老のご法話動画です。

動画ストリーミングサイトUSTREAMのサービスを利用して、iPhoneのG3回線で実況を行いました。 iPhoneの内蔵マイクを使った録画のため、音声が小さく大変お聞き苦しくなっておりますが、実験的な配信ですので、ご寛恕いただければ幸いです。

その1(約63分 ※2分過ぎから礼拝・慈悲の瞑想が始まります。)


その2(約63分 ※法話の続きです。)


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
ブッダ成道の地で考える―智慧ある人の条件(52分12秒)をダウンロード

今週のDhammacastは、去る2009年12月1日夜、インド・ブッダガヤのスリランカ寺(大菩提会)で行われたスマナサーラ長老のご法話(質疑応答)を配信いたします。智慧ある人の条件とは何でしょうか?釈尊成道の聖地で考えてみました。

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智慧ある人は謙虚です(例:サーリプッタ尊者、中村元博士、アインシュタイン博士)。そして謙虚な人が智慧を獲得する。両方の側面があります。人があれこれ、ややこしく考えるのは頭が機能しないからです。頭が機能している人はシンプルに軽々と考える、自我なしにただ世界をおもしろがって見るのです。頭のいい人は小学生の思考パターンで考えるので、その話を聞く人も理解できない人はいないくらい。苦労して学んだ人は「おれがやったぞ」と見栄を張ってしまう。本当に頭いい人はそんなこと少しも思わないのです。

脳をいじめて苦労して学ぶ人は我が強くなってカッコつけます。肩書きを集めて肩書きに隠れて自我を肯定しようとするのです。頭のいい人とアホな人というのはそうやって区別できます。相手を見下して、「バカじゃないか」と思うことは怒りです。怒ると頭が止まるのです。ストレスが溜まっても頭が止まるのです。我々は「怒り」についてもっと理解した方がいいと思います。かんかん怒ることばかりが[怒り」ではありません。ああ、嫌だなぁ、めんどくさいなぁ、という気持ちも怒りです。いつでも脳の動きをストップさせる(心の)はたらきが「怒り」なんです。ですから、怒ってコラッ!と怒鳴る代わりに、いつでも冗談に入れ替えてしまえばいかがでしょうか?
(スマナサーラ長老のご法話より)

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
去る11月21日(土)、新潟県上越市の上越文化会館でスマナサーラ長老の講演会 「ブッダの教えと禅の心-スマナサーラ長老、道元禅師を語る-」が開催されました。

荒天の中、約550名の方が参集され、道元禅師の遺教である『八大人覚』と同じ内容を語られた、パーリ聖典『偉大なる人の思考(マハープリサ・ヴィタッカ)』に関する講演に熱心に耳を傾けておられました。

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新潟県第三宗務所青年会の30周年記念事業として企画された同講演会の実現に尽力された百目鬼洋一(どうめき よういち)師より、感想のコメントをいただきましたので、以下掲載いたします。


人を最も成長させるのは、自分のそれまでの世界観をひっくり返してしまうような「圧倒的にすごい人」に出会い、その謦咳に接することだと思います。日頃、伝統教団の慣習や決まり事の中にいる私たちは、往々にして自分の成長の目途を見失いがちです。

「わーぁ、本物だぁ」いささかミーハー調ですが、スマナサーラ長老をお迎えした私の偽らざる感想です。威圧感ではなく親しみの中に大きな智叡を感じる長老の存在感に圧倒されました。

ご講演を拝聴した皆が、成長の芽を頂いたと確信しています。ありがとうございました。

百目鬼洋一

百目鬼洋一師

~生きとし生けるものが幸せでありますように~


釈尊成道の聖地ブッダガヤにて(42分44秒)をダウンロード

ひさびさ更新のDhammacastは、去る2009年12月1日午前、釈尊成道の聖地であるインドはブッダガヤ大菩提寺境内の公園で行われたスマナサーラ長老のご法話を配信いたします。

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「生かして生きる」という釈尊の平和の教えが体現された聖地ブッダガヤの由縁と魅力がユーモアをまじえて語られます。私たちがブッダの言葉を読経する際の心構えについても心すべき指摘が......。バックで詠唱されるチベット僧のド迫力読経供養と、のどかな鳥のさえずりもお楽しみください。

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~生きとし生けるものが幸せでありますように~

真理と道徳は分けられない 増支部4集「婆羅門真諦経」講義より(120分)をダウンロード

DSC_0200.JPG......地球が丸いということは真理ですけど、そこから出てくる道徳はなんですか?ブッダの場合は、道徳と真理は不可分なんです。そこは、仏教を哲学として学ぶ場合には気を付けるべきポイントです。仏教では、真理と道徳は不可分なんです。......(スマナサーラ長老の講義メモより)
2009年10月27日、ゴータミー精舎で行われたスマナサーラ長老のパーリ経典解説の音声をpodcast配信いたします。

今回のテキストは、Aṅguttaranikāyo Catukkanipātapāḷi 5. Brāhmaṇasaccasuttaṃ 増支部4集「婆羅門真諦経」です。異教の遊行者との対話を通じて、ブッダの説かれた真理の偉大さが浮き彫りになるスリリングな経典j講義です。

 ......バラモン人がみな「殺生するなかれ」と言っているわけではないのです。しかし「殺生してはいけない」というバラモンもいた。それは本当のことを言っているんだよと、釈尊は超越した悟りの智慧で語るのです。
 一般人は「殺生してはならない」と(ただ)いう。釈尊は、それが真理であると発見する。
 ポイントは、生命に害を与えてはならないということは誰でも言っていることですが、ある修行者は瞑想して得た覚りの智慧で、「あ、この人たちは本当のことを言っているんだ」と発見することです。かといって、その人は自分がエライ宗教家だと思っていない。バラモンだと思っていない。優れた人間だとも思っていない。私の智慧は皆と同じになったとも思わない。他人よりレベルが低いとも思わない。しかし、発見した事実・真理があるから、その真理によって、生命には一切害意を持たずに憐みを持って生活する。
 それは、釈尊のことを言っているのです。すごいことを発見したからと言って、自分がエライ修行者だとは思わない。そんなような気持ちは一欠けらもない。ただ真理を発見した。その発見した真理によって生きている。生命に対する憐みをもって......。それが本物の生き方なんです。
 釈尊にはまったく自我が無い。「あなたは何者ですか?」と問われても、答えが無いんです。「われは神である」とか「我こそは仏陀である」とか、そういう人々は誇大妄想という病気なんです。ほんとは治療すべきなんですけど......その代わりに、皆で拝んでいるんですね。
 釈尊はこれほどの真理を発見しているのに、自分、という立場が消えている。自我が無い、実体がない境地に達しているんです。......(スマナサーラ長老の講義メモより 文責:佐藤哲朗)
パーリ語のテキストは、以下のリンク先からダウンロードしてください。

2009_1027gotami_sutta_AN_4-185.pdf

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

11月20日に発送された日本テーラワーダ仏教協会の機関誌『パティパダー』B.E.2552/2009年11月号(vol.16 no.7)をご紹介します。表紙イラストタイトルは、野口香さんの奉納です。

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主要目次は以下のPDFファイルをご覧ください。

pp200911mokuji.pdf

☆『パティパダー(paTipadaa)』は日本テーラワーダ仏教協会の会員向け月刊誌です。

<入会(購読)方法>
初年度会費として、7千円(次年度から年間5千円)を下記の郵便口座までお振込みください。通信欄には「 入会希望」と記入してください。毎月、機関誌『パティパダー(paTipadaa)』をお送りいたします。※パティパダー購読のみ希望の場合も条件は同じです。ご不明の点は協会事務局まで、お電話(03-5738-5526)か電子メール(info◆j-theravada.net ※◆を@に変えてください)でお問合せください。 

【郵便振替口座】
00120-5-763914 日本テーラワーダ仏教協会
※協会への入退会は自由です。

生きとし生けるものが幸せでありますように


2009年10月16日、佐賀新精舎(佐賀県鹿島市音成)で初となるスマナサーラ長老指導の瞑想会が開催されました。静かな農村風景のなかにある精舎で行われたご法話のメモをご紹介します。困難な状況下で、農業に携わるすべての人々に、読んでいただければと思います。

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「......こういう場所では、お釈迦様の時代と同じ環境で説法できるんですね。おだやかで静かで、農業で生活している、こういうところでは仏陀の教えはものの見事に語られます。大都会ではちょっと難しいんです。

 みなさんの仕事は、人間がいる限り、欠かせない、絶対やらなくてはいけない仕事なんです。他の仕事、服のデザインとか、美容師になるとか、音楽家とか、そういう仕事が成り立つのは、人間が食べていけているからです。食べて幸せでいるから、もうちょっと遊びましょう、楽しみましょうというところでかっこいい服を探す。だから髪の毛も、というのはずっと後で出てくることです。まず、命をつなぐために栄養が必要なのです。それをつないでいるんだから、食べ物を作るということは、たいへん大事な仕事です。職業そのものも徳行になる。食べられる作物を植えて育てるだけで、善行為です。それで人が生きているんですから。

 農業はそれ自体が徳になる、「徳行」です。......この世界で、仕事イコール徳行になることはなかなかありません。ですから、そういう気持ちで仕事してほしいんです。たいへんなことだ、遊びじゃないんだ、人の命を預かっているんだと。

 皆さんには嫌われていますが、このへんのイノシシも、おかげで贅沢しているでしょう。皆様の畑にイノシシが入って食べて、皆様の努力で彼らも豊かに生きている。皆様が動物たちも幸福にしてあげているんです。イノシシは作物を盗んでいくけど、それでも、「しょうがないんだ、イノシシも元気でいてほしい」という気持ちでいると、被害は少なくなるんです。農業して残った作物は、動物たちの分なんです。慈しみを広げていくと、不可思議なことに、動物も残ったもの、役に立たないものを食べていくんですよ。

 農業をしていると、ものごとは毎日変化するというのが、よく見えます。さっきも藤井さんと話していたけど、オクラが育って育って、朝も昼も二回も収穫しないと追いつかない。で、明日収穫するぞ、と思ったら、もう売り物にならなくなってしまう。そのくらい早く変化するんです。みるみるうちに変化する。ものごとは絶えず変化している過程です。一瞬も休めない人生なんです。稲といっしょにわれわれも年をとっていく。麦をつくって、米を作って、また麦を作ってと、休めない。体感していますね、わがままいえないこと、流れの中で生きていかなければならないことを。

 自然の法則は摩訶不思議です。みんなが頑張ると、因果法則の中で、一時的な結果が出るだけ。おいしそうなオクラも、明日、収穫するのではダメです。今日、取らないといけない。結果も一時的です。そうやって生きていると、なんでも無常で流れているんだとわかるでしょう。でも、原因がぜんぶそろったら豊作になるかというと、それもわからない。台風が来たらどうなるか、日照になったり、雨が降りすぎたりしてもダメでしょう。そういう条件もそろわないといけない。

 無常といったら、なんでもかんでも無常です。しかしすべて因果法則の中なのです。ひとつもわがままは通じません。人間が貢献するところはほんのわずかで、無数の因果関係の流れの中で、条件がそろったら豊作になる。それさえも一時的で、それは誰か(絶対者)がやっているわけではないのです。「すべて因果法則である、縁起である」と、毎日、体感できる。(農業を仕事にする人々は)仏教を理解するために、心清らかにするために、すばらしい環境にいるんです。......」

(2009年10月16日 佐賀新精舎でのスマナサーラ長老ご法話より。メモ・文責:佐藤哲朗)

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

仏教は自由を目指す(54分05秒)をダウンロード

sumanasara.jpg今回のDhammacastは2009年9月26日に名古屋市千種区IMYホールで開催された「名古屋初期仏教デー(講演と瞑想の会)」でのスマナサーラ長老のご法話をお届けします。以下、さわりのメモです。

仏教は私たちがあらゆる束縛から自由になるための教えです。誤解してほしくないのですが、仏教は「宗教」ではありません。

世界にある宗教とは妄想体系です。最初から証拠ない前提で始まっているものです。それでは一切妄想でしかありません。宗教は結果としてみれば、人間を束縛し支配し脅すことしか考えていないものです。

宗教から解放されて、徹底的に現実的にならないかぎり、我々の頭はおかしいままです。

我々は長い間マインドコントロールされて、自由に物事考える能力奪われているのです。それは生まれたときからマインドコントロールだから自分で気づかない。

現代日本では、ある人が「科学」という言葉を使って新しい宗教を作っています。科学とはデータを調べて結論に達することです。科学と言うならば、データをどんどん調べないといけない。

彼は信者に、「人間に魂があると人間に説得できれば大成果だ」と説いているそうです。それのどこが科学なのでしょうか? 科学なら、魂があると証拠を出して証明しないといけないはずでしょう?

「人間に不変の魂がある」なんて話は浦島太郎の民話と同じです。何の証拠もない、子供向けのものがたりです。そんなレベルで、(他人の妄想を)鵜呑みにするいうのは、人間としてどれだけ情けないことか。

釈尊は一貫して「無我」論を教えて「魂論」を邪見として否定しましたが、決して結論を押しつけていないのです。そのかわりに、我々に、しっかりした観察方法を教えてくれたのです。......(当日のメモより)

↓法話の冒頭で言及されている本です。けっこう話題になりました。
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5 イイっすね〜
1 この方は本当に僧侶か?
1 アマチュアのムック本です
5 古い考えに、あきれるが・・・。
5 あとは、どう応用するか!

~生きとし生けるものが幸せでありますように~


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