平成24(2012)年の年明けを記念して、デスクトップ壁紙を配信いたします。日本テーラワーダ仏教協会機関誌『パティパダー』 1月号の表紙イラストをもとに上杉久代さんが作成して下さいました。お手元のパソコンやiPad,iPhoneなどにダウンロードしてご利用ください。

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PC用 800×600

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PC用 1024×768

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PC用 1280×800wide

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PC用 1280×1024

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iPad用

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iPhone用

「粉ミルクから放射性物質が検出されるなど、子供を取り巻く環境が過酷になっています。彼らに渡してはならないもの、また、渡さなくてはいけないものについて、すべての大人が真剣に考えてくれる一年になる事を願いつつ...。」イラスト:上杉久代

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
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「気づき」の迷宮
~サティの実践とは何か?~


講師:アルボムッレ・スマナサーラ長老 

 初期仏教では「解脱・涅槃」への一本道として四念処の実践(気づきの実践、ヴィパッサナー冥想)を指導します。それは「いま・ここ」の瞬間に何が起こっているかに気づくサティ(sati 念,気づき)の実践として説明されています。 
 このサティには複数の意味があります。大きくは、A.瞬間瞬間の気づき・注意・不放逸、B.特定の(冥想)対象・法に心をかける、C.単なる記憶作用、にわかれます。日本などの北伝仏教では、サティ(サンスクリット語では smṛti )はBやCの意味で取られることが多く、テーラワーダ仏教の「気づきの実践」が紹介されるまで、「気づき」としてのサティは忘れられていました。むしろ「念仏」という言葉にみられるような、仏教に関連したイメージや言葉を繰り返し想起し続ける(念じ続ける)ことがサティの実践と解釈されてきたのです。 
 一方、「気づきの冥想」を伝えてきた南伝のテーラワーダ仏教にも、いわゆる「念仏」に相当する仏随念などの実践が伝えられています。これらはどのように関連付けられるべきなのでしょうか? 
 サティが「気づき」と訳されたことは多くの人々にとって福音でしたが、一方で新たな弊害も起きています。いわゆるスピリチュアル系の教えや、自己啓発セミナーなどでも盛んに「気づき」という言葉が用いられていることです。英語でサティがawareness,mindfulnessなどと訳され、その訳語に乗っかった形で神秘主義的な、また欲にまみれた「気づき」の大安売りが始まっているのです。 
 今回の初期仏教講演会では、長い仏教の歴史の中でさまざまに用いられてきた「サティ」の意味を様々な角度から分析して、お釈迦様が語られた「サティ」の真髄に迫っていきたいと思います。 

***** 

日時:2012年1月14日(土)18:30~21:00(終了予定) 
    (受付開始18:00~) 

場所 国立オリンピック記念青少年総合センター・センター棟417号室 

定員 300名(先着順) 

*名簿作成の関係上事前申込をお願いします。 
(申込締切1月12日17:00pm) 

*300人定員の無料講演会です。 
希望される方がより多くご参加いただけますよう、皆さまのご理解とご協力をお願いいたします。当日キャンセルは極力されませんように、お申込みお願いいたします。 
また、事情によりおいでいただけない場合は、申込締切1月12日17:00pm迄にご連絡をお願いいたします。(ご連絡無くキャンセルされた方は、次回以降ご予約を見合わせていただく場合がございます。ご了承願います。) 

*会場の国立オリンピック記念青少年総合センターへのお問い合わせはご遠慮ください。

*予約フォームはこちらです。  http://kokucheese.com/event/index/23567/
※当日券の発行はありません。必ず予約の上ご来場ください。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

The Chant of Mettā Text 慈しみの声明 

木岡治美訳/ウ・ウエープッラ『南方仏教基本聖典』参考)

 

Ahaṃ avero homi

私は恨みのない人間であらんことを。

abyāpajjho homi

私は瞋りのない人間であらんことを。

anīgho homi

私は悩みのない人間であらんことを。

sukhī- attānaṃ pariharāmi

安楽に過ごせんことを。

 

Mama mātāpitu

私の母や父が、

ācariya ca ñātimitta ca

先生や親族や友と、

sabrahma- cārino ca

修行仲間とが、

averā hontu

恨みのない人間であらんことを。

abyāpajjhā hontu

瞋りのない人間であらんことを。

anīghā hontu

悩みのない人間であらんことを。

sukhī - attāna pariharantu

安楽に過ごせんことを。

 

Imasmi ārāme sabbe yogino

ここに居る、すべての修行者たちは、

averā hontu

恨みのない人間であらんことを。

abyāpajjhā hontu

瞋りのない人間であらんことを。

anīghā hontu

悩みのない人間であらんことを。

sukhī - attāna pariharantu

安楽に過ごせんことを。

 

Imasmi ārāme sabbe bhikkhū

ここに居る、 すべての比丘たちと、

sāmaerā ca

沙弥たちと、

upāsakā - upāsikāyo ca

優婆塞たちと優婆夷たちは、

averā hontu

恨みのない人間であらんことを。

abyāpajjhā hontu

瞋りのない人間であらんことを。

anīghā hontu

悩みのない人間であらんことを。

sukhī - attāna pariharantu

安楽に過ごせんことを。

 

Amhāka catupaccaya - dāyakā

衣類・食事・臥具・薬を施す者たちは、

averā hontu

恨みのない人間であらんことを。

abyāpajjhā hontu

瞋りのない人間であらんことを。

anīghā hontu

悩みのない人間であらんことを。

sukhī - attāna pariharantu

安楽に過ごせんことを。

 

Amhāka ārakkhā devatā

私たちの守りとなる神々は、

Imasmi vihāre

この精舎における、

Imasmi āvāse

この住まいにおける、

Imasmi ārāme

この園における、

ārakkhā devatā

(私たちの)守りとなる神々は、

averā hontu

恨みのない存在であらんことを。

abyāpajjhā hontu

瞋りのない存在であらんことを。

anīghā hontu

悩みのない存在であらんことを。

sukhī - attāna pariharantu

安楽に過ごせんことを。

 

Sabbe sattā

すべての衆生、

sabbe pāṇā

すべての(呼吸する)生類(五蘊をそなえた生命)、

sabbe bhūtā

すべての生きもの(無想有情天と無色界の生命)、

sabbe puggalā

すべてのプッガラ(神々、人間等)、

sabbe attabhāva - pariyāpannā

すべての身体に含まれたもの(卵など)、

sabbā itthiyo

すべての女性、

sabbe purisā

すべての男性、

sabbe ariyā

すべての聖者、

sabbe anariyā

すべての聖者ならざるもの、

sabbe devā

すべての神々、

sabbe manussā

すべての人々、

sabbe vinipātikā

すべての悪趣に堕ちたものたちは、

averā hontu

恨みのない存在であらんことを。

abyāpajjhā hontu

瞋りのない存在であらんことを。

anīghā hontu

悩みのない存在であらんことを。

sukhī - attāna pariharantu

安楽に過ごせんことを。

 

Dukkhā muccantu

苦しみから脱せんことを、

Yatthā -laddha -sampattito māvigacchantu Kammassakā

業を受け継ぐ生命は、正しく得た富を失うことのなからんことを。


Puratthimāya disāya

東方、

pacchimāya disāya

西方、

uttarāya disāya

北方、

dakkhiṇāya disāya

南方、

puratthimāya anudisāya

北東方、

pacchimāya anudisāya

南西方、

uttarāya anudisāya

北西方、

dakkhināya anudisāya

南東方、

heṭṭhimāya disāya

下方、

uparimāya disāya

上方[に住む]、

Sabbe sattā

すべての衆生、

sabbe pāṇā

すべての(呼吸する)生類(五蘊をそなえた生命)、

sabbe bhūtā

すべての生きもの(無想有情天と無色界の生命)、

sabbe puggalā

すべてのプッガラ(神々、人間等)、

sabbe attabhāva - pariyāpannā

すべての身体に含まれたもの(卵など)、

sabbā itthiyo

すべての女性、

sabbe purisā

すべての男性、

sabbe ariyā

すべての聖者、

sabbe anariyā

すべての聖者ならざるもの、

sabbe devā

すべての神々、

sabbe manussā

すべての人々、

sabbe vinipātikā

すべての悪趣に堕ちたものたちは、

averā hontu

恨みのない存在であらんことを。

abyāpajjhā hontu

瞋りのない存在であらんことを。

anīghā hontu

悩みのない存在であらんことを。

sukhī - attāna pariharantu

安楽に過ごせんことを。

 

Dukkhā muccantu

苦しみから脱せんことを、

Yatthā -laddha -sampattito māvigacchantu Kammassakā

業を受け継ぐ生命は、正しく得た富を失うことのなからんことを。


Uddha yāva bhavaggā ca

上は有頂(天)に至るまで、

adho yāva avīcito

下は無間(地獄)に至るまで、

samantā cakkavāḷesu

あまねくこの世界において、

ye sattā pahavīcarā

大地の上に棲まう衆生は、

abyāpajjhā niverā ca

 瞋りなく、恨みない生命であらんことを。

nidukkhā ca nupaddavā

苦しみのない、災難のない生命であらんことを。

 

Uddha yāva bhavaggā ca

上は有頂(天)に至るまで、

adho yāva av īc ito

下は無間(地獄)に至るまで、

samantā cakkavāḷesu

あまねく世界において、

ye sattā udakecarā

水中に棲まう衆生は、

abyāpajjhā niverā ca

瞋りなく、恨みない生命であらんことを。

nidukkhā ca nupaddavā

苦しみのない、災難のない生命であらんことを。

 

Uddha yāva bhavaggā ca

上は有頂(天)に至るまで、

adho yāva av īc ito

下は無間(地獄)に至るまで、

samantā cakkavāḷesu

あまねくこの世界において、

ye sattā ā k ā s e c a r ā

空中に棲まう衆生は、

abyāpajjhā niverā ca

瞋りなく、恨みない生命であらんことを。

nidukkhā ca nupaddavā

苦しみのない、災難のない生命であらんことを。

 


~生きとし生けるものが幸せでありますように~


※パーリ語で唱えられている『慈しみの声明』テキストとその日本語訳です。


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Mettā Bhāvanā : Meditation of Loving-kindness

(By Venerable A. Sumanasara Mahathero, Head , Gotami Vihara, Tokyo)


Many of us offend others without our knowledge and we tend to defend if questioned or refuse to accept the charge. Yet, we are not aware that we are offending ourselves while blaming others for the cause. Repeated recital of the following meditation may release you from the pain of being offended and the charges of offending others. In other words, you relieve yourself from both the pain of yours and the charges of others. Try see practicing the following steps:

 

Step 1: Be kind to yourself Stage  

Let myself be always happy and kind  

Let myself be free from disease and mental  worries.  

Let myself be always successful in righteous and reasonable endeavors.  

Let the wisdom of light shine upon myself.  

Let myself be always happy and kind.  (3 times)  

 

Step 2: Be kind to your intimates  

Let my intimates be always happy and kind.

Let my intimates be free from disease and mental worries.

Let my intimates be always successful in righteous and reasonable endeavors.  

Let the wisdom of light shine upon my intimates.  

Let my intimates be always happy and kind. (3 times)

 

Step 3: Be kind to all living beings

Let all living beings be always happy and kind.

Let all living beings be free from disease and mental worries.  

Let all living beings be always successful in righteous and reasonable endeavors.

Let the wisdom of light shine upon all living beings.  

Let all living beings be always happy and kind. (3 times)  

 

Step 4: Be kind to people you are not happy with

Let all living beings irritable to me be always happy and kind.

Let all living beings irritable to me be free from disease and mental worries.  

Let all living beings irritable to me be always successful in righteous and reasonable endeavors.  

Let the wisdom of light shine upon all living beings irritable to me.

Let all living beings irritable to me be always happy and kind. (3times)

 

Step 5: Be kind to people who are not happy with me

Let all living beings not happy with me be always happy and kind.

Let all living beings not happy with me be free from disease and mental worries.

Let all living beings not happy with me be always successful in righteous and reasonable endeavors.

Let the wisdom of light shine upon all living beings not happy with me.  

Let all living beings not happy with me be always happy and kind. (3 times)

 

Step 6: Fathomless compassion  

Let all living beings be always happy and kind. (3 times)

 

Sabbe sattā Bhavantu sukhitattā (3 times)


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~生きとし生けるものが幸せでありますように~


※スマナサーラ長老による英語版の慈悲の冥想テキストとチラシ画像です。問い合わせが多かったので掲載しました。


『偉大なる人の思考 Mahā purisa vitakka』は、2008年2月19日に兵庫県三田市でテーラワーダ仏教寺院(現マーヤーデーヴィー精舎)が着工されたことを記念して刊行された約120頁の施本です。編集は誓教寺坊守の藤本竜子さん。漢訳経典『佛遺教経』にも登場する八大人覚(八つの偉大なる人の思考)について、スマナサーラ長老が解説されています。少欲、知足、遠離、精進、気づき、禅定、智慧、不戯論(パパンチャを破る)、という八項目に、お釈迦様の教えとその達せられた境地のエッセンスが凝縮されています。PDFファイルをダウンロードしてご自由にお読み下さい。

※このPDFファイルの商用利用や他サイトでの再配布、改変は固くお断りいたします。
※目次にある「喜捨ご芳名」は割愛しました。


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偉大なる人の偉大なる安らぎ

 さて、お釈迦様がこの経典を語ることになったのは、こんないきさつからでした。お釈迦様の義理の兄弟でもあるアヌルッダ尊者がたまたまひとりでいる時に、自分の人生を観察してみました。自分が王家を出て、今森の中にひとりぼっちで出家生活をしています。しかしなんの悔いも苦しみもない。宮殿の贅沢がなにひとつもないのに、けたちがいの安らぎと喜びを感じている。そこで考えたのです。「この、安らぎって何なのか」と。王子として宮殿にいた時とまるっきり違う生き方です。大勢の人々に囲まれて、護衛に守られているのではなく、今、孤独に生きている。ごちそうの代わりに托鉢して貧しい人々からもらったご飯を少々食べている。住むところは立派な家ではなく、森の中です。なのに、偉大なる安らぎがある。恐怖も不安も苦しみもない生き方をしている。私は偉大なる生活をしている。普通に生活していた時と比較すると、比べものにならない尊い生活を自分はしていると。なんとなくそういう思考になっちゃったのです。

 人の幸不幸は、その人の思考次第です。アヌルッダ大阿羅漢が、今、偉大なる安らぎを感じているというならば、一般人とは違った「偉大なる思考」を持っているはずなのです。そこで、アヌルッダ大阿羅漢は「自分の思考と俗世間の思考は何が違いますか」と考えてみました。すると七つの項目が思い浮かびました。それをお釈迦様に報告したところ、お釈迦様は「すばらしい」とおっしゃって、それを認めました。そしてさらに、偉大なる人の七種類の思考にお釈迦様がもうひとつの思考を足しました。その後、お釈迦様が『偉大なる人の思考』というタイトルでこの八つの項目を紹介して、説法したのです。

仏教の自己紹介

この八つの項目に、「仏教とは何か」がコンパクトに語られているのです。世間のすべての思考、普通の人間の生き方と比較してみると、仏教がいかに尊いのか、いかにすぐれているのか、いかに超越しているのか、ということの説明なのです。くだけた言葉で言うならば、仏教の自慢話なのです。しかし、自慢話は根拠のないホラ話か、きちんと根拠がある事実の発表か、というところがポイントなのです。ホラ吹きの自慢なら批判されますが、事実の発表ならば他人に批判されることはありません。ひとが尊い境地に達したことを、他人が聞いて驚くのです。それから、「自分も頑張らなくてはいけない」と思うのです。

 そういうことで、『偉大なる人の思考』は仏教の世界では朝晩唱える経典なのです。唱えることで、仏道に励むために、自分自身を奮い立たせてもらう。「我々は暗いことをやっているので
はない。普通の俗人には想像もできない尊いことをやっています」と自分自身の修行の糧とする。精進するため、励むためのエネルギーとして使うのです。(本文より)


~生きとし生けるものが幸せでありますように~

「嫉妬しないこと 誰かの美徳を喜ぶこと」 
~ムディター(喜)の実践から始まる幸福論~

講師:アルボムッレ・スマナサーラ長老 

sumanasara.jpg 横並び社会、出る杭は打たれる社会、と言われる日本は、嫉妬心がとりわけ強い社会と批評されることもあります。事実、政治家やタレントから一般人まで、細かな言葉尻を捉えたマスコミや大衆のリンチ攻撃を受けて、地位を失うことが後を断ちません。嫉妬心が野放しになっていることで、日本社会の閉塞感が増幅しているとも言えるでしょう。
 しかし日本の特殊性を持ち出すまでもなく、ひとはおしなべて、他者の成功や幸福を喜ぶことができない性格的な弱点を持っているのです。ひとの美徳など眼中になく、些細な欠点を攻撃することにしか興味がないのです。この性格の「病気」に対する仏教の処方箋は何でしょうか? 
 私たちは、慈悲の冥想で「生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように」と念じますね。これは四無量心のひとつムディター(喜)を育てる冥想です。ムディターは、他の生命の幸福を喜ぶ心(善心所)で、嫉妬心の反対の気持ちです。このムディターというキーワードを通じて、嫉妬の克服から、幸福の完成(解脱)にまで達する道を紹介いたします。 

***** 

日時:2011年12月18日(日)14:00~17:00(終了予定) 
    (受付開始13:00~) 

場所 国立オリンピック記念青少年総合センター・センター棟417号室 

定員 300名(先着順) 

*会場利用規約に基づく名簿作成の関係上、必ず事前申込をお願いします。 
(申込締切12月16日17:00pm) 

*予約フォームはこちらです。 http://kokucheese.com/event/index/20124/
※当日券の発行はありません。必ず予約の上ご来場ください。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
施本PDF『アビダンマ基礎講座の参考書』(765KB)をダウンロード

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●施本のご案内

アラナ精舎在住のウ・コーサッラ西澤長老が全国で開講している「アビダンマ基礎講座」受講者向けに書き下ろされた参考書をPDFで公開いたします。リンク先からダウンロードして自由にご利用ください。

冊子版にあった誤記も修正されています。すでに冊子版をお持ちの方は『アビダンマ基礎講義の参考書』冊子版の正誤表(PDF)をご覧になってください。


●アビダンマ講義のご案内

ウ・コーサッラ西澤長老のアビダンマ基礎講義の動画はyoutubeでも公開されています。こちらこちらのチャンネルまとめて視聴できます。

また、ゴータミー精舎でのアビダンマ基礎講座の音声をポッドキャストでも聴取できます。iTunes からダウンロードできます。 iTunesが利用できない方は、こちらでも聞いたりダウンロードしたりすることが可能です。

ウ・コーサッラ西澤長老が翻訳された『Vipassanaa Q&A マハーシサヤドーと現代のヴィパッサナー瞑想法』(マハーシ大長老・述/ダンミカーヴィワンサ長老・編)もPDFで公開されています。こちらもぜひご参照ください。

※これらPDFファイルの商用利用や他サイトでの再配布、改変は固くお断りいたします。


~生きとし生けるものが幸せでありますように~

※本コーナー開設以前に掲載したPDF文献については協会HP内「PDF文庫/折々の法話より」で御覧頂けます。

施本PDF『勝利の経 Vijaya suttaṃ』(3.34MB,113p)をダウンロード

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スマナサーラ長老が最古の経典と呼ばれる『スッタニパータ』に収録された重要経典を解説した法話施本をPDFで公開いたします。

佛暦 2553年(西暦2009年)5月ウェーサーカ釈尊祝祭日に、兵庫県三田市に建立されたマーヤーデーヴィー精舎の竣工と四方比丘サンガへの御布施を記念して刊行された作品です。ダウンロードしてご自由にお読み下さい。

※このPDFファイルの商用利用や他サイトでの再配布、改変は固くお断りいたします。


 『勝利の経』は、出家の方々が修行のために唱える経典です。いくらか冥想を実践して、仏教のことを理解している人が、それでもなかなかこころが俗世間の次元を破れずに、欲の泥沼の中から脱出できないで苦労している時、強いインパクトでこころに真理を叩き込むための経典なのです。ですから、この経典だけを取って、「これこそが仏教だ」と思われると困りますので、一般の在家の方々への説法には使われません。しかし、語られている内容は大変重要なものです。
 この『勝利の経』で教えているのは、「自分とは何者か、この身体を客観的に見てみなさい」ということなのです。......(本文より)

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

※本コーナー開設以前に掲載したPDF文献については協会HP内「PDF文庫/折々の法話より」で御覧頂けます。
怒りの無条件降伏~中部経典21「ノコギリのたとえ」講義~(1時間59分)をダウンロード

今回のダンマキャストでは、以前協会からカセットテープで販売されていたスマナサーラ長老の経典解説を配信いたします。お釈迦さまが比丘たちに「怒りの克服」について迫真の喩え話で説法された中部経典21「ノコギリの喩え」(Kakacūpamasuttaṃ,鋸経)を取り上げます。この講義はのち2004年に『怒りの無条件降伏 中部経典『ノコギリのたとえ』を読む』(日本テーラワーダ仏教協会)として単行本化されました。

古いカセットテープからのデジタル化音声のため、音声レベルにムラがあったり、ノイズが強い箇所もあります。予めご承知下さい。

怒りの無条件降伏--中部教典『ノコギリのたとえ』を読む
アルボムッレスマナサーラ 日本テーラワーダ仏教協会出版広報部
日本テーラワーダ仏教協会 (2004/07)
おすすめ度の平均: 5
5 怒りから慈悲へ
5 『慈経』に匹敵する好著

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

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スマナサーラ長老のヴィパッサナー冥想指導での重要な法話を元に制作された施本をPDFで公開いたします。

本書は山口県・誓教寺様の法施として2007年7月に刊行された作品です。編集されたのは誓教寺坊守の藤本竜子様。ダウンロードしてご自由にお読み下さい。

※このPDFファイルの商用利用や他サイトでの再配布、改変は固くお断りいたします。

ヴィパッサナーという高速道路
(本文より)

 これから瞑想の時間です。

 「あぁ、瞑想か。それならよく知っている。」という気持ちになると思います。西洋の人々もメディテーション(meditation)ならいろいろ方法を知っているという態度になります。なぜ、ひとは瞑想に興味を持つのでしょうか? たいていの人々は、仕事が上手く捗って、精神的なストレスは少なく、また楽しい気分でいたい、と思って瞑想に興味を持ちます。たまに、東洋の神秘に挑戦してみたいという、かつての開拓主義の生き残りの方々もいれば、西洋人の間で人気があるからという理由で、日本でも座禅に興味を持つ人々もいらっしゃる。というわけで、瞑想と言えば「気分を良くするための少々変わった方法」という意味で理解されているのです。「気分さえ良ければ、人々の間で人気さえあれば、どんな瞑想でもかまわん」というのがクールな人間の常識です。

 しかし、残念です。ヴィパッサナー瞑想は普通の瞑想とは違います。徹底的に違う瞑想です。

 瞑想(meditation)では、何か一つの対象に集中して、こころの統一能力を磨き上げます。落ち着くとか、気持ちが良くなるとか、楽になったとか、仕事が集中してできるようになったとか、神秘体験を得たとか、いろいろ結果もあるようです。

 では、ヴィパッサナー(vipassanā)とは何でしょうか? 「観察する(observe)こと」です。対象一つを選んでそればかりを観察したり、念じたりするのではありません。ありとあらゆる現象を観察することです。存在とは何か、生きるとはどういうことか、生きる意義は何か、何のために生きるのか、いったいこの世とは何なのか、それを発見しよう、生きる目的に達しよう、一切の苦を乗り超えて不死なる境地に到達しよう、という目的で全てを総括的に観察しなくてはならないのです。 「スケールが大胆で、大き過ぎじゃないの?」「まったくだ。スケールがあまりも大き過ぎです。叶うはずはありません。」そう思われるに違いありません。

 いいえ、心配は無用です。お釈迦様が全てコンパクトに整理整頓して語ったのです。さらに、人間に必要でないものと、欠かせない必要なものに区別して、「必要不可欠なもののみに挑戦するように」と説かれているのです。それから、その方法もとてもシンプルです。

 方法と言うなら、これは最短距離で、カーブ一つもない、直線の道なのです。ヴィパッサナーという高速道路に入れば(通行料もなし)、出口は解脱・涅槃・悟り・究極の幸福・一切の苦しみの終焉というところです。複数の目的を挙げましたが、看板の名称が違っても、結局は同じ場所です。得られる結果は皆同じです。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

※本コーナー開設以前に掲載したPDF文献については協会HP内「PDF文庫/折々の法話より」で御覧頂けます。

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